毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ナポレオンは戦闘に向かう兵に何を語っていたか?~『ナポレオン言行録』オクターヴ・オブリ(1943)

ナポレオン言行録 (岩波文庫 青 435-1)

 

かならずしも長くはない一生にナポレオン(一七六九―一八二一)はおびただしい量の手紙・布告・戦報・語録などを書き,あるいは口授した.本書はそのうちから最も意味深く最も興味深い文章を選んで年代順に配列したものであって,不世出の英雄の波瀾にとむ生涯が,かれ自身の筆とことばによって生々しく記録されている。(原書は1943年、文庫は1983年)

 

兵に告ぐ!戦闘を前にして

兵隊よ、諸君は裸で、給養も悪い。政府は諸君に負うところが多く、しかも何一つ諸君に与えることはできない。…私は諸君を世界一の沃野に誘導しようと思う。豊かな諸州、広大な諸都市が諸君の権力下に入るであろう。諸君はそこで名誉と、栄光と、富とを見出すであろう。(1796年イタリア遠征の本陣にて、63ページ)

兵に告ぐ!戦闘が終わって

兵隊よ、われわれの祖国の幸福と繁栄の確保に必要な一切のことが達成された暁には、私は諸君をフランスに連れ戻るであろう。かしこでは、諸君は私の最もやさしい配慮の的となるであろう。私の国民はふたたび諸君に見えて喜ぶであろう。そして諸君は、「私はアウステルリッツの戦闘に加わっていた」といいさえすれば、こういう答を受けるであろう、「ああ、この人は勇士だ!」と。(1805年イタリア遠征の終結に向けて、113ページ)

親衛隊への告別

わたしの古い親衛隊の兵隊よ、私は諸君に別れを告げる。20年以来、私は絶えず諸君を名誉と栄光の道の上に見出して来た。…私は(エルバ島に)出発する。私の友人たちよ、諸君はフランスに仕えつづけていただきたい。フランスの幸福こそが私の唯一の念願であったのだ。…私の運命を嘆いてはいけない。私がこの期に及んでも生きながらえることを肯んじたのは、いま一度諸君の栄光に役立たんがためである。私はわれわれが共になしとげてきた偉大な事どもを書きたいのだ!(1814年、エルバ島に流刑されるにあたって、164ページ)

ナポレオン言行記

オブリはナポレオンの生涯と編纂の意図を以下のように記す。

彼(ナポレオン)の生涯の浮沈の曲線はかくして完全である。…彼は25歳にして有名であり、40歳にして一切を所有しており、50歳にしてもはや名のほかに何一つ持たない。しかしこの名はその綴り一つ一つが人生を感動させるものなのだ。…ナポレオンは驚くべき将師、端倪すべからざる立法家であったのもではない。また偉大な文人でもあった。(14ページ)

ナポレオンの名言の数々

 

ナポレオンはヨーロッパがわずか5-6の名家によって占有されていた時代に生まれた。コルシカの平民の子として皇帝になるが、その権威は戦果という実績によってのみ裏打ちされれいた。ナポレオンは戦果を挙げる為に、兵に対し言葉でモチベ―トし続けた。彼は言葉によって成果を挙げたと言える。

予の辞書に不可能ということばはない。

兵士たちよ、4000年の歴史が諸君を見ているのだ

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。

様々な名言はナポレオンが事を成すために生み出したのだと理解する。彼はフランスを言葉で動かした。

蛇足

 強い言葉は必要だから生まれる。

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