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2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ノーベル賞受賞者の覚悟とは何だったのか?~『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』馬場 錬成氏(2012)

大村智 - 2億人を病魔から守った化学者

大村智氏は「寄生虫による感染病に対する新しい治療法の発見」で2015年ノーベル賞受賞。

 

 

 

大村氏は微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を45年以上行い、これまでに類のない450種を超える新規化合物を発見、それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献している。(Wiki

最大の成果、イベルメクチン

1974年に静岡県の川奈ゴルフ場周辺の土中から発見された放線菌が産出するエバーメクチンの誘導体であるイベルメクチンの抗寄生虫作用の有効性、毒性、安全性などの確認実験を積み上げ、学会で発表したのは支所に活性を見いだしてから5年後の1979年であった。(151ページ)

イベルメクチンが投与される前、世界では年間数千万人の人々がオルコセルカ症に感染し、失明者も含めて重篤な眼病に罹患している人々は数百万人と推定されていた。失明の原因となっているミクロフィラリアの感染予防は、イベルメクチンを体重1キロあたり150マイクログラム、年1回飲むことで達成される。(4ページ)

大村方式

まず大村が創薬につながる微生物由来の天然化合物質を見つけて特許をとる。特許の専用実施権は企業に与える。また見つけた化合物物質と研究成果は提供するので、製薬企業はそれをもとに薬を開発してビジネスにする。ビジネスになった場合は特許ロイヤリティを大村に支払う。…これは研究者と企業のウィン・ウィン官営が明快な提案内容である。

英語で論文を書き続けた

大村はその当時、英語はあまり得意な方ではなかったが、教授の都築は英語が大得意であり論文は英語で書くように徹底して指導した。都築は「日本語で論文を書いても外国人は読めないから実績として認めないし、研究成果も正当に評価してもらえない。論文は必ず英語で書きなさい」と強く指導する。有名大学の経歴のある人には普通のやり方では勝てないと思っていた大村は、その後、都築の教えを守り研究論文はほとんど英語で書くようになる。現在までに1100編近くの論文を発表しているがその95%は英語で書いたものである。(74ページ)

大村氏の成果は250億円の収益

大村らが生み出してきた特許ロイヤリティ収益は、総額250億円にもなるが、そのほとんどを北里研究所などに還流させて研究所の再建・整備、事業連合、病院建設にあてた。おそらくこれほどの規模の資金学術研究の現場に還流させて産学連携事業は、日本では前例がないし世界にもほとんどないであろう。(211ページ)

大村氏の学術交流

大村の学術交流の人脈は、国際的に活躍している有機化学分野の権威者やノーベル賞受賞者がキラ星のようにならんでいる。いい仕事をすればその専門分野の第一任者との交流が広がり、情報交換と討論の場が広がり、最新の研究方法や研究成果を知ることができる。…大村は、研究室のスタッフにことあるごとに「レベルの高い人とお付き合いすることが大事である。レベルの高い人たちと付き合っているといつしか自分もそのレベルになってくる。そのためには自分を磨いて、いい仕事をしなければならない」と言い聞かせる。…ノーベル賞受賞者の周辺から次のノーベル賞受賞者を輩出する。(193ページ)

大村氏の原点

 

大村氏は山梨大学学芸学部を卒業、東京で夜間高校の教師を務めるなかで、研究職を志し、東京理科大学大学院に進学、その後北里大学で研究生活をスタートさせる。彼のキャリアは無名であった。だから「日本では講師どまりかもしれない。だったら世界を目指せばいいじゃないか。」という覚悟からスタートしていた。

英語で論文を発表し、ノーベル賞受賞者を含むグローバルなネットワークを築きあげる。その過程で米国に留学する。米国で産学連携の仕組みを知るとさっそく実践し、独メルク社と共同研究を行う。その成果の一つがイベルメクチンであった。

2015年ノーベル賞を受賞するに至るが、有機化学の分野では近いうちにノーベル賞を受賞するであろうと言われていたことを知る。大村氏は「世界を目指せばいい」という目標に向かって、できることを積み重ねていった。すべては最初の覚悟から始まっていた。

蛇足

 

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