毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

古代ローマに学ぶ、自由人と奴隷の違い~『奴隷のしつけ方』ジェリー・トナー氏(2015)

 奴隷のしつけ方

解説のジェリー・トナー氏は英国の古典学の研究者、本書はファルクスという古代ローマの貴族が執筆する形式をとる。「古代の大帝国を支えた奴隷越しに 我々の生きる現代社会が見えてくる」(2015)

 

 

ローマ帝国と奴隷

大土地所有者たちは、買い上げた農地を元の持ち主である農民に耕せたわけでもなければ、ほかから自由農民を雇ってきて耕させたわけでもなく、奴隷を買ってきて農作業をさせたのである。なぜかというと、奴隷は兵役に駆り出される心配がないからだ。戦争が多かったので、自由人であればいずれ戦に行くことにあるのは目に見えていた。兵役はいわば自由民の義務であり、信頼できない奴隷を軍に入れるなど考えられもしなかったのだ。・・・奴隷はたくさん子供を産むので、主人にとって大いに利益になるという点である。この二つの利点によって大土地所有者はますます豊かになり、同時に奴隷人口も急増した。逆に、イタリア半島の自由人の人口は少なくなり、そのなかの貧しい人びとは長い兵役と税に圧迫されてますます貧しくなっていった。つかの間兵役から解放されたとしても、仕事がないので稼ぎようがない。土地はほとんど大土地所有者に押さえられ、そこでは自由人ではなく奴隷が働いていたのだから。(17ページ)

奴隷とは

奴隷はファミリアの長である主人に従う。ただし市民と奴隷には違いがあり、奴隷は最初から絶対服従を強いられている。奴隷は家族を持たず、結構の権利と義務から切り離らされ、存在理由そのものを主人からおしつけられ、名前も主人から与えられる。その意味では奴隷状態とは「社会的死」であり、だからこそ主人への絶対服従が当然とされる。(19ページ)

本書の「著者」ファルクスが語る奴隷

あなたの奴隷はあなたと同じように生まれ、あなたと同じように呼吸し、あなたと同じように死ぬ。この事実についてよく考えてみてほしい。奴隷の外見ではなく、内面を見て、そこに自由人がいればそれを認めるべきではないのか。同様に奴隷のほうも、あなたの外見ではなく内面を見て、そこに奴隷がいると気づきうるのだから。・・・考えてみれば、誰の心の中にも奴隷がいる。ある人は情欲の奴隷であり、またある人は金銭の奴隷だ。名声や地位の奴隷も大勢いる。そして、我々全員が希望と恐怖の奴隷である。(109ページ)

我々の祖先は皆同じ、宇宙である。身分が高かろうが低かろうが、誰でも祖先をたどれば一組の親に行き着く。だから誰も軽蔑してはならない。出自もわからず、運命に見放されたと思える人間でも、見下してはならない。…今奴隷の身分にいる者もすべて、たとえ数世代かかるにしても、いずれローマ市民になる可能性をもっているのだから。(118ページ)

自由人と奴隷

古代ローマ時代の上流階級の人々はストア哲学の影響から、「奴隷所有者は奴隷の身体のみを所有しているのであって、精神は自由なままである」と考えていた。実際自由人と奴隷の区別は、主人を持つか持たないか、の違いを除けば、仕事の内容など曖昧であった。

自由人と奴隷、誰にでも心に二つの側面を持つとして、自由人と奴隷の心の違いは何か?それは、「今より良くするという目的を持つこと」ではないだろうか?

現代資本主義と古代ローマの経済システムに似たものを簡単に見出すことができる。本書の架空の著者ファルクスは、奴隷が喜んで働ける環境を整備することが主人の役目である、と語る。資本主義は自ら人びとが喜んで働く制度を作ったとも言える。古代ローマの奴隷は兵役を免れていた。資本主義の下において、失業を免れた勤労者は奴隷である、という比喩を使いたくなる。しかしこのことに大きな意味はない。

大切なことは自由人と奴隷をわける精神性に注目することである。自らが主人となり、前に進もうとする意志を持つことであろう。

蛇足

自らの主人となる

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