毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本には今もに刀はある、でも使わないのはなぜか?~『刀狩り―武器を封印した民衆』藤木 久志氏(2005)

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

藤木氏は日本中世史の研究家、秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」は本当だろうか? 武装解除された「丸腰」の民衆像から、武器を封印する新たな日本民衆像への転換を提言する。(2005)

 

中世、村には武器があった

中世以来、村々の百姓の男たちは刀とともに成人し、自前の武器をもって武装していた。その武器を、ふだんの生活の中で、害鳥獣の駆除に、村の治安に、山野河海のナワバリ争いに、地域の防衛に、自在に使いこなし、それを「自検断」と呼んで、「人を殺す権利」さえも、村ごとに行使していた。(22ページ)

刀・脇差は中世の男の象徴

中世の刀は成人した村の男たちの人格と名誉の表象であった。刀狩りというのは、その尊厳に満ちた刀を百姓たちから奪おう、というものであった。秀吉の刀狩令は、それだけ、人の名誉の表象という刀のもつ重さを抱え込んで生まれてくる。(38ページ)

秀吉の刀狩令(1588)の目的

百姓から武器をみな没収すれば、百姓たちが支配者に手向かいできないようになる。そうすれば、年貢はしっかり取れるし、百姓の一揆は防げるし、百姓を田畠の耕作に集中させることができるのだ。…秀吉自身や大名たちの心にあった、武装した中世の百姓たちへの底知れぬ恐怖心に、秀吉はたくみにいけこんで、自分の政策を担わせようとしていた。(41ページ)

刀狩令でも武器は存在していた

秀吉の喧嘩停止の法は、村々による山野河海の紛争の場で、武器を用いて集団で「刀傷」する、「村の戦争」を禁止する法であった。…刀狩令は村の武器すべてを廃絶する法ではなかった。だからからこそ喧嘩停止令は村に武器があるのを自明の前提として、その剥奪ではなく、それを制御するプログラムとして作動していた。百姓の手元に武器はあるが、それを紛争処理の手段としては使わない。武器で人を殺傷しない。そのことを人びとに呼びかける法であった。(125ページ)

刀狩令の意味するところ

刀狩令は、すべての百姓の武器の没収を表明していた。しかし、現実には、村の武器の根こそぎの廃絶というよりは、百姓の帯刀権や村の武装権の規制として進行した。武器を使って「人を殺す権利」は抑制されたが、村々にはなお多くの武器が留保された。(119ページ)

日本社会は武器を忌避してきた

(日本思想史家の中村生雄の主張するように)少なくとも近世の日本社会において、刀や鉄砲という殺傷力の高い武器の、所持や使用を抑制する仕組みが、支配層の側からはもちろん、在地の被支配者層の側からも、さまざまに試みられてきたことは否定しがたいところである。

(西洋史家の村川は)「今日の日本で武器の保持・携行は、国家権力により世界で最も厳しく取り締まられており、この政策は一般市民のコンセンサスに支持されている」と語っていた。(234ページ)

誰が刀の使用権を持っているのか? 

 

私は秀吉の刀狩令によって民衆から武器が無くなったと思っていた。しかし近世に至るまで民衆は武器を持っていたという。しかし長年に渡って武器は在野に蓄えられてきた。鳥獣の駆除に使われることはあっても、村同市の戦争に使われることは文化的にも制限されてきた。そして現在の銃刀法のもとでも、全国で230万本を越える刀が公認されているという。

私見ではあるが、現在でも鉄砲や刀が人びとの争いの手段として使われるのは多くないと思う。それは鉄砲や刀が在野に存在しないからではない。日本社会では民衆が近世から現代に至るまで「武器を紛争解決の手段として使わない」というコンセンサスがあるからだ。

蛇足

 日本では誰も刀を使う正当性を有していない

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