毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

情報を一人で消費する事はできるか?~「第四の消費、つながりを生み出す社会へ」より

第四の消費 つながりを生み出す社会へ (朝日新書)

三浦氏は消費社会の分析に携わる。現代を第四の消費と呼ぶ。「物自体の所有に満足を求める傾向は弱まって、人とのつながりに対する充足を求める傾向が強まること、物は、人とのつながりをつくるための手段に過ぎなくなるだろう。」

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物質と情報

 

 

物質的な豊かさは、物を私有することで享受できる。究極的には物を独占することで満足度が上昇することもある。人よりも大きな物、高額な物、稀少な物をもった方が満足する。それを見せびらかすこともできる。そうしたことをマーケティングの世界では差別化と呼ぶ。しかし情報は物質とは違い、それを私有し、独占し、貯め込むだけでは意味をなさない。それを他者に伝え、他者と共有しないと、情報を持っていることのよろこびを味わえないのである。(143ページ)

 

情報化の進展

 

 

情報化が進むと、人々は、どういう情報を持っているかを自慢するという以上に、情報を交換する事自体によろこびを見出そうとする。日常の些細なことであっても、フェィスブックに書き込めば、みんなから「いいね」と言われる。見ず知らずの人からも「誕生日おめでとう」というメッセージが届く。広い意味で利他的な行動ができるようになったのである。(144ページ)

 

消費とは何か?

 

消費とは、欲求を満たすために財・サービス(商品)を消耗することを指す。(wiki

消費は物質と結びつく。物質は排他性を持ち得る。サービスの語源は奴隷というラテン語である。つまりは生命時間を何かと交換する事である。生命時間は有限であり生命時間を共有する、という概念には馴染まない。消費は排他性のあるものが商品となる事である。

情報を消費できるか?

 

情報を排他的に消費してしまう事は出来ない。しかしながら情報が全ての人に共有された時、情報の価値が無くなり、もはや情報では無くなる事はある。情報とは共有されなければ消費されないという事に気づく。物質と情報、排他性あるいは共有という意味で根本的に違っている。

利他指向の意味

 

利他とは「自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方」と言われる。著者が指摘する様に情報は共有され、交換されて意味を持つ。つまりは相手がいなければ存在しない、という事になる。利他を宗教的にあるいは哲学的に捉える前に、「情報の価値」という面から考えられる事に気づく。

蛇足

 

情報を一人で消費する事は出来ない。

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