毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

現代は自画像が成立しない時代なのかもしれない~書評 木下長宏氏 ゴッホ〈自画像〉紀行

カラー版 - ゴッホ〈自画像〉紀行 (中公新書)

木下氏は近代思想芸術史、ゴッホの研究家。木下氏の自画像のフレームワークゴッホを論ずる。2014年刊

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彼の画家人生は、わずか10年あまりにすぎない。その短い歳月に、四〇点を超える自画像を遺した。

 

 

自画像以前の時代

 

 自画像を描き観るということが、人々に内的必然性をもたらさなかった時代である。・・・(ルネサンス以前は)「人間」の「自己」は「世界=天=神」の指し示す方向へ導かれていくことで充足される存在だった。「自己」と「世界=天」が調和関係を維持することを願って古代の人々は生き続けた。(201ページ) 

自画像の時代~ルネサンス

  

人間は「自分」の力で「世界」を理解したいと考える。言い換えれば「理性」の力で世界を把握しようとするわけである。・・・絵画の世界では、遠近法と解剖学が自己という人間を明晰に対象化させる技術として確立する。こうして人類は「自己」を「世界」の物語の主人公にする絵画、すなわち「自画像」というジャンルを開発した。 

自画像以降の時代

 

 産業革命を経験し、個としての人間が、社会とう機械の一部品にすぎないことが自覚される時代に入った19世紀後半、「自己」は「疎外」と「分裂」をいやおうなく経験させられる事になる。確固とした「自己」を自己証明することが難しい時代が始まった。(201ページ)

自画像と背景

 

  自分の居場所がどこか判らない。「自分」を支えてくれる何かを探そうとして「背景を描く」。サン・レミの「星月夜」に描いたうねる夜空の渦と小さく突っ立つ教会の尖塔の構図は、彼の病から立ち上がろうとする石を描いた自画像に引き継がれている。この自画像の背景には「星月夜」の夜空そのものであり、自分の姿の背後には、小さな教会の尖塔が隠れている。いや、隠れていてほしいと祈りつつ、彼は自分の像を描いている。(204ページ)

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ゴッホは駆け抜けた

 ゴッホは40枚の自画像に取り組み、その後、病を得て自己崩壊をも経験する。「星月夜」には自分は登場しないが、そこに自己の投影した世界が表現されている。著者のフレームワークに従えば「自画像時代」を駆け抜け、「自画像以降の時代」に突入し「自己」対「世界」意識を表現した事になる。この2枚の絵が「自己」と「世界」を表現している事になる。

蛇足

我々は自分の観た背景に住んでいる

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