毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

最初の大量破壊兵器はいつ誕生したか?~150年前の機関銃

 機関銃の社会史 (平凡社ライブラリー)

十九世紀半ば、機関銃の登場により、過剰殺戮と呼べる概念が戦争に導入された。戦争の主役は、もはや人間ではなく、機関銃であることが明らかになった。第一次世界大戦では、死者の八十パーセントが、機関銃の犠牲者となった。

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ガトリング機関銃

1861年にアメリカの発明家ガトリングによって製品化された最初期の機関銃。複数の銃身を外部動力(人力やモーターなど)で回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返して連続射撃を行う。(wiki)

1877年ガトリングの手紙

もし機械を、機関銃を発明できたら、とね。あの速射性があれば兵士100人分の仕事を一人で賄えるだろう。大袈裟にいえば、それは大軍の必要性を無用にし、その結果戦禍や疾病にさらされる兵士を大幅に減らすことができるだろう、と考えたのです。(49ページ)

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150年前の機関銃は1分間に200発の連射ができた。

機関銃と産業革命

機関銃は19世紀に急速な展開をみせた製造技術・金融財政システムにおける根本的な変革、つまり産業革命の産物であったからだ。この巨大な技術躍進を支持する人間にとって、機械はすべての問題に対する答えだった。彼らにとっては人を殺すことさえ、機械化し、より効率化できる事柄だった。(28ページ)

第一次世界対戦以降の戦争の姿

機関銃への対抗手段として戦車が開発されると、戦争の機械化はさらに一段進んだ。もはや、理想主義の意気ごみや信念、個人の自尊心の価値は薄れ、兵器の質や生産能力がその国の勝利の決め手となった。それ以来、戦争の非人間化は衰えることなく続いている。通常の戦場では、兵士はしだいに電子装置にとって代わられつつある。機械化の時代には、兵士は少なくとも、戦車を操縦し、銃の狙いを定め、引き金を引いた。だが、今ではそうしたことまでコンピュータや赤外線誘導装置がやってくれる。もはや、人間は無力な傍観者になってしまった。(304ページ)

大量破壊兵器のはしり

本書の訳者である越智氏は「機関銃は大量兵器のはしり」(309ページ)である、と分析して見せる。機関銃、塹壕戦、戦車、機甲師団、絨毯爆撃(空爆)、核兵器に至る道である。機関銃は産業革命国民国家が結びついた国家総力戦を機械化した。そして実際に使用された時、それに対峙せざるを得ない人間にできる事は何もない。「これはもう人間の思考、想像、理性の枠を越えている」(251ページ)。大量破壊兵器の前ではすべての人が無力である。軍隊ですら終わりのない消耗戦に突入する。もっと現実的に言えば、たった1本の機関銃ですら一般市民に向けられた時、剥き出しの暴力の前に人は無力である。150年前機関銃の発明者がガトリングは「これで戦争は終わる」と語った事を思い起こす。

蛇足

人は機械と競争しても勝てない