毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イケダハヤト氏の新世代努力論を資本主義のフレームワークで考えてみる~「やさしい努力論」

新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値観だ。

ブロガー、イケダハヤト氏による86世代(現在20代後半)の世代論。

本書は世代論の枠を越えて資本主義の世界でどうやって生きるかを考えさせてくれる。

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 「アラフォー」世代以上の人々の努力

平等主義の下、競争する努力をする、そうすれば報われるもの」

これからの努力~「やさしい努力」

「やさしさ」とは、自分、他人、社会を取り巻く現実を的確に

認識し、その上で責任を押しつける事をやめようとする態度です。(7ページ)

その人はその人なりに、今、彼・彼女ができる最大限の力で努力をしているものなのです。(79ページ)

ぼくらが本当にすべき努力とは、「没頭」と表現できるようなタイプの努力です。(106ページ)

やさしい努力の結果として成功が待っている(かもしれない)

没頭できる何かが見つかれば、本気で没頭すれば成功する・・・・という訳ではありません。(118ページ)

f:id:kocho-3:20140809204450p:plain101ページ 成功もまた運!
そしてイケダハヤト氏の覚悟

突然ですが、僕は自分で言うのも何ですが、かなりの努力家です。平日は毎日2万字近い文章を執筆、編集しています。(中略)なぜなら僕は文章を書くのが好きだからです。(70ページ)

資本主義のフレームワークで新世代努力論を読む

今我々は資本主義経済が超過利潤を簡単には見つけられない社会に活きている。超過利潤は発展途上国か、金融の世界か、新たなイノベーションにあるだけという事である。イケダハヤト氏が言うバブル入社以前の「恵まれた世代」の時代は社会にはまだ超過利潤を期待できる投資機会があったと思っていた。それは高度成長期の残滓に過ぎなかった事を知っている。あるいは東西冷戦構造という特殊環境下で、グローバルに製造業に特化したビジネスモデルが大成功した幸運だったと理解している。そんな時代には皆が超過利潤の獲得を目指して努力をする事が唯一の正だった。一方超過利潤の無い世界=資本の余剰の世界であり、イノベーションによる新たなビジネスモデルが期待をされている段階である。近代経済学マルクス経済学、どちらのフレームワークにおいても超過利潤が存在しない=期待投資収益が低い=成功確率は計算不能という関係が成り立っている。

我々の世界は「やさしい努力」を求めている

期待投資収益が低い、あるいは成功確率が計算不可能な事を続けられるのは何故か?没頭できるほど好き、だから。皆が「好きな事に没頭」した時、世界は少し「やさしい世界」になる。

イケダハヤト氏が「自分は努力家である」と語る時、私は彼の覚悟に共感する。

蛇足

没頭できる事を捜し続ける事が愉しみ!