毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

本当に農耕文明は人類に幸をもたらしたか?~「常識」とは違う別の視点から世界を見る。

パンドラの種 農耕文明が開け放った災いの箱

 ウェルズ氏は考古学と遺伝子工学の成果に基づき、文化人類学を研究。本書では農耕が人類に何をもたらしたのか、主に負の側面から説明する。

f:id:kocho-3:20140808081934p:plain

P244狩猟採集は「多くの要素と多様なスキル」を誇る

 我々は幸福な農耕民か?

過去1万年の人類文化の発展をめぐる大きな誤信のひとつに、狩猟採集生活から、現在の抜群に高いレベルへと向かうにともない、取り巻く状況はだんだん良くなった、というものがある。たいていの人は、遠い祖先の人生は、思想家トマス・ホッブスが言ったとおり、「孤独で、貧しく、不潔で、野蛮で、短い」ものだったと思っている。農耕と政治・・・が登場すると、それらの効果は一目瞭然で、以後人々の生活は計り知れないほど向上した。一般に、1万年前以降の人口爆発は、みずからの手による食糧生産のポジティブな影響が数字に現れたものにほかならず、この新しいライフスタイルは幸福な農耕民の増加をもたらした、と考えられている。

旧石器時代,狩猟採集民の方が健康状態は優れていた!?

旧石器時代の狩猟採集民の平均寿命は、男性が35.4歳、女性が30.0歳だった。・・新石器時代に農耕への移行が起きると、(中略)男性は33.1歳、女性は29.2歳になった。・・男性の身長は、旧石器時代にはほぼ178㎝弱だったのが、新石器時代後期には約160㎝となった。

ヒトはやむにやまれず農耕にシフトした

(1万5000年前に小氷河期の戻りという)ヤンガードリアス期に、我々ヒトという種が経験した最後の激しい気候変動によって、しかるべき場所に住んでいた少数の狩猟採集民が作物の栽培を始め、その後の新石器時代の技術革新がことごとく可能となった。この技術革新とは、作物自体の大きな遺伝子変異、動物の家畜化、複雑な灌漑システムの構築、都市生活や階層的な当期体制の誕生などだ。(228ページ)

農耕がいいか、狩猟採集がいいか、対立する価値観が存在

18世紀のフランス哲学者社会評論家でもあったジャン・ジャック・ルソーは、未開人(や太古の人類)は、高潔に生きているという記述、「高貴な野蛮人」という味方を行った・・人間は生来善であり、社会がわれわれを墜落させたのだ、とルソーには思えたのである。

(前述の)ホッブスによれば、未開人が送る生活の「不潔さ、残忍さ、短命さ」は国家という機構によって初め軽減されるのだった。(252ページ)

農耕が死因を変えた

 第一の波は外傷にあたり、我々の祖先のヒト科の時代から新石器時代の幕開けまで、死因のトップを占めている。人類が定住し、動物を狩るよりも飼うようになると感染症が主な死因として外傷にとって代わりだす。この感染症に当たる第二の波は、20世紀中葉に抗生物質が開発されるまで、最大の死因でありつづけた。最後の波は、(中略)慢性病がそれらより大きな脅威となったきているのだ。20世紀前、慢性病―特に糖尿病、高血圧、脳卒中、ガン-の増える機会ができる前には、大多数の人が比較的若い年齢で亡くなっていた。(98ページ)

f:id:kocho-3:20140808082334p:plain

 

死因の変遷からも分かるとおり、農耕の始まりが現在の危機のそもそもの原因だと主張。感染症の増大、糖尿病などの慢性疾病の増加としった身体の病気、更にはストレスによる精神的ダメージなど、農耕文明は「パンドラの箱」だったという視点である。

 農耕と狩猟採集どちらがいいか、ホッブズの「リバイアサン」、ルソーの「高貴な野蛮人」、二つの価値観を認識。

 蛇足

地球上の最後の狩猟採集、漁業(養殖を除く)