毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人は新たな気付きを得て、変われる存在である~皆な努力で「魔女狩り」から抜け出した!

魔女狩り (岩波新書)

 森島恒雄(1903‐87)専攻は科学思想史。本書は1970年に執筆。

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現在の最終版は何版になっているのであろうか?「古典」である。

 

魔女狩りは1400~1600年ルネッサンスの時代

西欧キリスト教国を「魔女狩り」が荒れ狂ったのは、ルネサンスの華ひらく十五‐十七世紀のことであった。密告、拷問、強いられた自白、まことしやかな証拠、残酷な処刑。しかもこれを煽り立てたのが法皇・国王・貴族および大学者・文化人であった。狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景をここに見る。(本書表表紙より)

 

魔女の鉄槌(1485年)

15世紀にドミニコ会士で異端審問官であったハインリヒ・クラーマーによって書かれた魔女に関する論文。同書は魔女狩りのハンドブックとして読まれ続け、1487年から1520年までの間に13版、1574年から1669年までにさらに16版が印刷された。(wiki)

 

魔女裁判を異端審問として正当化することが、言い換えれば、「魔女」が「異端者」であることの証明が、教会当局にとって必要、かつ重要な課題となった。この課題を解決する役割を引受け、それをもっとも見事に果たしたのが「魔女の鉄槌」であった。・・・魔女の鉄槌の3分の1をそれに当てた第一部の長々しい論証によって確立された結論は、「魔女は悪魔と盟約を結んで悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術を行うことができる」ということであった。

f:id:kocho-3:20140805072941p:plain魔女に与える鉄槌 - Wikipedia

 

グーテンベルグが聖書を印刷したのが1455年、魔女の鉄槌は最新べストセラーであった。魔女狩りにより当時のヨーロッパにおいては4万人とも5万人とも言われる人が犠牲になった。

 

魔女狩りと科学

血液循環の発見で近代生理学の基礎をきづいたウィリアム・ハーベイはこの国王(ジェームズ一世)および次のチャールズ一世の待医であった。このハーベイは、チャールズ一世のもとで四人の魔女の魔女マークを捜すために身体検査を行っている。マークは見当たらずと、彼は報告した。しかし、これは魔女マークに対する迷信の、少なくとも消極的な、肯定にならないであろうか。精密な解剖学的研究によって近代生理学を開拓したこのすぐれた医者が、裸体の魔女の全身に探針を刺している姿を想像すれば、喜劇というよりも悲劇である。しかし近代はその中で生まれつつあった。

 

ウィリアム・ハーベイは1628年血液の循環という当時はパラダイム・シフトとも言うべき理論をファクトの集積によって確立した。1628年ハーヴィは実験により血液循環説を主張~ファクトの集積とプレゼン手法の確立 - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

 

人は多面性があるという事

ハーベイが教えてくれる事は「魔女は存在する」という当時の常識、そして現在の非常識を信じていても、血液循環という新たな思考を成し得たという事である。血液循環という合理的考え、そして他の人の様々な思考、これによって近代が成立した。人は優れた所とそうでない所があって、3人よれば3人の優れた所の意見が段々に残ってい。人は必ず自分の得意なテーマで人々に、世界に、そして歴史に、何らかの貢献が必ずできるのだ、という事に勇気づけられる。そして人の優れた点に一つでも気づけばいいのだと考える。

本書の結末に~魔女狩りの終焉

世界国家としてのキリスト教的ヨーロッパの聖俗両界の権力的支配者が、もはや教会ではなくなった時、魔女を作る必要がなくなったと説明し、「しかし新しい魔女はこれからも創作され、新しい魔女の鉄槌の神学が書かれるかもしれない。」と結ぶ(203ページ)

今から44年前森島氏は科学史家として思考のフレームを提供してくれていた。

蛇足

人は新たな気づきを得、そして自ら変われる。