毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

経済学の父アダム・スミスは資本主義の欠陥を予言していた。~悪魔も「神の見えざる手」を引用できるという事

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

アダム・スミスは経済学の父

アダム・スミス(1723年- 1790年7月17日)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・神学者・哲学者である。「経済学の父」と呼ばれる。(Wiki)

私はアダム・スミスを個人の自由と小さな政府を強調する思想であり古典的自由主義者だと理解してきた。その背景は世界に君臨する大英帝国の自由競争による経済活動を擁護する目的と認識してきた。本書により私の間違えに気づく。

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37ページ私たちは、成長ともに、自分の気分や好み、あるいは利害によって他人の感情や行為を判断することを避け、冷静で公平な判断を下す様になる。

アダム・スミスは「神の見えざる手」を2回しか使っていない。

彼らは見えざる手に導かれて、大地がそのすべての住民で平等な部分に分割されていた場合になられていただろうのと、ほぼ同一の生活必需品の分配を行うのであり、こうして、それを意図することなく、それを知ることなしに、社会の利益を推し進め、種の増殖に対する手段を提供するのである。(1759年道徳感情論 本書89ページ)

個人はこの場合にも、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。それが個人の意図にまったく無かったということは、必ずしも社会にとって悪い訳ではない。自分自身の利益を追求することによって、個人はしばしば、社会の利益を、実際にそれを促進しようとする意図する場合よりも効率的に推進するのである。(1776年国富論 本書171ページ)

 

アダム・スミス国富論を書いた英国の背景~堂目氏の解説

①軍事費の圧迫

18世紀のイギリスにおいて、政府支出の約9割が軍事費と国債費であった。国債発行の木的は戦費調達にあったのだから、政府支出のほとんどが軍事関連の支出であったと言える。フランスとの戦争が無ければ、イギリスの資本はもっと速く蓄積されたであろう。そして、より多くの労働者が軍人としてではなく、生産的労働者として雇用され、その結果、イギリス経済は、もっと速く成長したであろう。(195)

②アメリカの独立戦争勃発(1775年)

植民活動は、国王の特許状を得た独占会社の管理のもとで行われた。植民地は、原則として、原産物を本国以外の国に供給する事はできず、製造品は本国以外の国から購入することは出来なかった。これらの規制は、ヨーロッパ本国の利益を植民地よりも優先させること、そして植民地か得られる利益を他国と分け合うことなく、本国が独占する事を意図したものであった。(217ページより再構成)

独立戦争勃発の十年前、イギリス議会は、七年戦争によって逼迫した財政を再建することを目的として、それまで帝国の防衛費を負担してこなかったアメリカ植民地に課税するため、印紙法を成立させた。(247ページ)

資本主義は「欲に目の眩らんだ弱い人」によって営まれていい

アダム・スミスは人間は誰しもフェアネスに基づいて行動する「賢人」と、他人の評価を気にする「弱い人」が混在するといった。経済活動は自己の利益の追求という「弱い人」が行っても「神の見えざる手」によってフェアネスが実現するであろうと言いたかった事になる。国は植民地の囲い込みとそれに必要な軍事活動を縮小すれば「弱い人」が経済推進の原動力になると考えていた。利己的な経済活動は「フェアネスを理解した胸中の公平な観察者の存在」があって初めて「神の見えざる手」が機能すると主張した。

英国の背景から読み解くと

国や特権的資本家が資本を優先的に使用して軍事と植民地経営をしても良い結果は得られない。多数の「弱い人」が自己の利益に基づいて活動しても、人が社会的フェアナスを目的とすれば「神の見えざる手」によって良い結果が得られる。アメリカは独立するか、英国とアメリカは統合するか、どちらの場合も植民地の自由な経済活用を妨げてはならない、という事をアダム・スミスは主張したかった。

大切なのは誰にも存在する「胸中の公平な観察者」の声を聞く事

18世紀の資本主義の黎明期から社会的フェアネスと利己的利益の追求の両立が課題であったという事を実感する。18世紀もそして今も、社会的フェアネスの追求という共通利益が忘れられた時「弱い人い」だけでは大きなマイナスを生む事になる。「神の見えざる手」のみを引用する事はアダム・スミスの思想の真逆である。アダム・スミスの最初の著作のタイトルは「道徳感情論」。

蛇足

悪魔だって都合のいいように聖書を引用できる(シェイクスピア