毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

パノプティコンという言葉を知っていますか?~そしてここから自由になる方法

 

 

 

監獄の誕生―監視と処罰フーコーはフランスの哲学者。監獄の歴史を通じ、現代の権力がどの様に成立しているかを論ずる。

フーコーによるパノプティコンの説明

ベンサムの考えついたパノプティコンはこうした組み合わせの建築学的な形象である。その原理はよく知られるとおりであって、周囲には円環状の建物、中心に塔を配して、塔には円周状にそれを取り巻く建物の内側に面して大きい窓がいくつもつけられる。周囲の建物は独房に区分けされ、そのひとつひとつが建物の奥行をそっくり占める。(202ページ)

1791年「パノプティコン」は功利主義ベンサムによって構想

功利主義者であったベンサムは社会の幸福の極大化を見込むには犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要であると考えていた。この刑務所にもベンサム功利主義的な姿勢が反映され、運営の経済性と収容者の福祉が(ベンサムの考える限り)最大限に両立されている。ベンサムは犯罪者を恒常的な監視下におけば彼らに生産的労働習慣を身につけさせられると主張していた。(Wiki) 

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ベンサムの求めたもの、規律と訓練による功利主義の追求

懲役や禁固など身体の自由を奪う刑罰(自由刑)においては刑務所での生活が規則によって定められ、規律にしたがって行動できる様に身体を訓練する。規律は国家によって制定され、訓練の結果は記録されていく。規律と訓練の目的を一言で言えば「国家が求める理想的な国民になる」と言い換えられる。

パノプティコンは身体的な対決を避け、自ら服従強制の本源を生じる

受刑者に善行を強制しようとして暴力手段に訴える必要はない。パノプティコンの施設はごく軽やかであってよく、鉄格子も鎖も重い錠前ももはや不要であり、独房の区分が明瞭で、戸口や窓がきちんと配慮されるだけで十分である。

つまり可視性の領域を押しつけられ、その事態を承知する者(つまり被拘束者)は、自ら権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時二役を演じる権力的本源を自分に組み込んで、自分が自ら服従強制の本源となる。(204ページから再構成)  

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本書口絵21「自分の独房の中で、中央の監視塔に向かって祈りを捧げている」

 

監獄から始まり、病院・学校・工場・軍隊、様々なものに拡張可能

フーコーベンサムを以下の様に引用する。

パノプティコンは「道徳を改善し、健康を保持し、産業をよみがえらせ、教育を普及し、公的な負担を軽減し、磐石の上でのように経済を安定させ、貧民に対する法律の難問を、丁寧にほどいていく。しかもそれは建築学上の単なる着想で行う(ことが可能である。)

パノプティコンのコンセプトは「常時監視、自己規律化」。200年前は刑罰は公開処刑であったり、暴力と腐敗に満ちた監獄であったのであろう。身体に対する暴力という恐怖、暴力による自己の利益の追求、など今ではとうてい受け入れられない状況が跋扈していたのであろう。そしてこの仕組みは間違いなく現在の社会を形作っている。

蛇足 

この仕組みの存在に気づいた時、パノプティコンから逃れられる。