毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1920年代の自動車広告から見えてくるもの~誰かがデザインした欲望、無くても済む欲望。

 クルマよ、お世話になりました: 米モータリゼーションの歴史と未来

アルヴォード氏はフリーライター、「アメリカはいかにしてクルマ大国になったのか?」、原著は1999年発刊。
現在の自動車に依存した社会は1920年代に始まる

クルマは石炭と鉄鋼産業、製鉄工業、板ガラスやゴムメーカーその他の企業にとって、最大の顧客となった。自動車メーカーが生産を増やす為に資金を借りる様になると、そうした他業種の企業も追随せざるを得なくなった。それに加えて、恐ろしいペースで道路、ガソリンスタンド、郊外が建設されていった。すべて分割払いの方法で、成長するクルマ産業の面倒をみる為だ。クルマを持つものが増えると、更にクルマを必要とする者が 増えた。最終的に、ほとんどすべての者が銀行や金融会社から借金し、ほとんどすべての企業が金貸し業や証券業務に参入した。続々と拡大していくクレジット需要に対応する為であり、国内での現金の循環は乏しくなっていった。」(47ページの引用より)

 

火に油を注ぐように、1920年代、クルマ産業は大幅に広告に資金投入し、雑誌や新聞その他のメディアにとって最大の得意先の一つになった。(49ページ)

 

 

 

クルマ広告が売るのはイメージであり幻想

クルマ広告が売るのはイメージであり、幻想である。様々な手法でステータス・力・性的力強さ、自由・完全さなどのシンボルとしての役割(91ページ)

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新興住宅地で打ち合わせをする不動産デベロッパー、コピーは「キャディラックと一緒新たな空間をシェア」。当時はこれが憧れの(!)シーン。1920′s Car Advertisements

 

 

 

 

 

 

 

米国のライフスタイルは自動車に依存

 

(はやくも)1933年の大統領社会傾向調査委員会の報告は「クルマは個人の生活に支配的な影響を及ぼすようになり、個人は真の意味でそれに依存するようになっていった。」

 

1990年代、クルマは人口の伸びの3倍の速さで増加した。アメリカでは69年から99年の間に6倍の速さだ。99年、世界におけるクルマの数は約7億台と見積もられる。同年7月時点でアメリカの乗用車あおよび軽トラックの登録台数は29000万台(となった。)(106ページ)

 

 

 

典型的アメリカ人男性は、年間1600時間をクルマに費やす。出かける時や、アイドリングする間に車内で過ごす時間、クルマを駐車し、駐車場でクルマを探し回る時間。(中略)平均的アメリカ人は12000キロの距離を進むために1600時間かける。こうして時速は8キロ以下となる。(158ページの引用部分)

 

 

 

アメリカ中間層の家庭が新車購入費用を捻出するには、6カ月の給料が必要だ。新車を2台界3年で乗り換えると(アメリカの新車購入者の40%近くがこのような買い換えをしている9。まさに働くために運転し、運転するために働くことになる。3年に一度は、1年間まるまるクルマ購入の為に働くことになるのだ。(160ページ)

 

 

 

米国において乗用車は「単なる四輪付きの動く鋼鉄の箱」以上の物である事は明白であり筆者のいうとおりクルマとの関係は「愛ではない、依存だ!」、そして「多くの人々にとってクルマとの関係は、とっくに蜜月期を過ぎ去ってしまっている」(116ページ)

 

米国の自動車の広告が人々の生活様式を変化させた事を実感させる。そして今日自動車を3年毎に買い換える事は機能論から見て必要なのではなく、エモーショナルな動機によって習慣化されている。創造された需要=誰かが入念にデザインした欲望。

 

 蛇足

 

1920年代の自動車広告、90年の時間が不必要な情報と感情を消去してくれる。残るのはデザインされた欲望という本質。