毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

今朝もコーヒーを飲む理由は何か?~17世紀の「コーヒーの家」から見えてくる

コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書) 臼井氏はドイツ文学の研究家、1992年の刊行。「東アフリカ原産の豆を原料とし、イスラームの宗教的観念を背景に誕生したコーヒーは、近東にコーヒーの家を作り出す。」 

イスラム神秘主義の修行僧、スィーフィー

コーヒーというのは奇体な飲み物である。そもそも体に悪い。飲むと興奮する。眠れない。食欲がなくなる。痩せる。しかし、そのコーヒーのネガティブま特性を丸ごとポジティブに受け入れ、世界への伝播に力をかしたのがスーフィーたちであった。彼らは体に悪いことなどものともせず、コーヒーを飲み、興奮するためにコーヒーを飲み、眠らないためのコーヒーを飲み、食欲をたつためにコーヒーを飲んだのである。

コーヒーはアッラーの民は隠された秘密を見、啓示を受ける時に飲まれるものなのである。

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レンブラント・ファン・レイン。アムステルダム、1642年。 →当時の先端商業都市アムステルダムレンブラントによって書かれた事が象徴的。

 

「コーヒーの家」と言われる社交の「場」で提供

オスマン・トルコ帝国の首都イスタンブールには1544年二軒の「コーヒーの家」が建てられるとその数はたちまち増え、スレイマン二世の治世下(1566-74)イスタンブールにはすでに600余りの「コーヒーの家」があった。そこにはある意味ではコーヒーの本来性とは矛盾する事態が進行していたとも言える。あの現世否定の権化であるスィーフィーによって生み出され、命名されたカフワ(コーヒーの最初の名称)が、社交の場を形成していたのである。

 
「コーヒーの家」は西欧にもすぐに普及、1652年ロンドン,1666アムステルダム,1671年パリ、、、

ヨーロッパの人文主義は異文化への旅行者を排出している。彼らにはそもそも熱い非アルコール飲料そのものが珍しいのである。(中略)更にもう一つ、身分の如何を問わず人々が集まって素面で語り合う「コーヒーの家」。そこには身分制社会かの桎梏からもがき出ようとするヨーロッパ近代市民社会がぜひとも必要としている新たな、公共的論議の舞台となるべき制度がそっくり存在していたのである。(38ページ)

 

コーヒーは資本集約的生産であり商業主義的商品

コーヒーの木を植えてから実をつけるまで5年ほどかかり、その間、収益が見込めないことである。コーヒー栽培は一定の資本の蓄積を前提にして始めて可能であり、その意味ではコーヒーという商品は最初から資本と歩みをともにする必然性が刻印されている。(38ページ)

最初からコーヒーが好きであるという人間は少ない。それが大量に消費される為には、商業資本は人間の内にコーヒーに対する自然的・精神的な内的欲求を作り出さなければならない。(中略)コーヒーという新種の飲み物の消費を増やすためいに、財力を備えた商人たちは豪華な「コーヒーの家」を建て、飲み方をデモンストレートし、人間の内的自然に加工を加え、コーヒーの欲求を定着させたのであった。(55ページ)

 

コーヒーの性格は、化学的な興奮剤として、場の社交の記号として、商業的アイコンとして、空間と時間の対価として、そして、何となく習慣として、これらが絡みあっている。

蛇足

一杯のコーヒーを飲みながら考えてみる。