毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

魚は水に気づかない、同様に人が長年気づかなかった概念とは?

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

筆者はサイエンスライター

人間原理に基づく思想体系、もっと言えばキリスト教は無限とゼロを忌避する。これを数学の発達史と実例により説明する。

ギリシャの数学~ 幾何学

ピュタゴラスの枠組みのなかにゼロの居場所はなかった。数と形が等価だという考えにより、古代ギリシャ人は幾何学の達人となったが、そこには深刻な欠点もあった。ゼロを数として扱うのが妨げられてしまったのだ。ゼロがどんな形でありえようか?(中略)二つの数字を掛け合わせるのは、直角四辺形の面積を出す事に等しかったが、横の長さはゼロ、縦の長さゼロの直角四辺形の形とはなんだろう。(48ページ)

ゼロのうちに、西洋世界の教義にとって有害な概念が二つ潜んでいたからだ。この二つの概念は、やがて長らく君臨したアリストテレス哲学を崩壊させる事になる。その危険な概念とは、無と無限である。(56ページより再構成)

インド数学~代数

インド人は平方数に正方形を見なかったし、異なる二つの値を掛けたときに直角四辺形の面積を思い浮かべなかった。むしろ、数値ー幾何学的な意味をはぎ取られた数ーの相互作用をみた。ここに代数と呼ばれるものが生まれたのである。(中略)インド人は、この様な考え方をすることによって、ギリシャの思考体系の短所ーそして、ゼロの拒絶ーから開放されたのである。(中略)2エーカーの畑から3エーカーの刈り跡を取り去る事はできないが、2から3をひいてはいけない理由はない。

リーマン球~ゼロと無限大は同じコインの裏と表

著者はゼロと無限大をつなぐ概念として複素数を説明する。そしてリーマン球の説明を行う。

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リーマンは射影幾何学と複素数を融合させ、突然直線が円に、円が直線に、ゼロと無限大が数に満ちた球の両極になった。リーマンはこんな事を想像した。半透明のボールが複素数平面に載っており、ボールの南極はゼロに接している。ボールの北極に小さな明かりがあれば、ボールの表面に記された図形はすべて下の平面に影を投げかける。赤道の影は原点を中心とする円だ。原点ーゼローは南極に対応する。複素数平面上の直線は、球の平面にある、北極ー無限遠点ーを通る円だ。(199ページ)


Stereographic projection of Riemann sphere - YouTube

 ギリシャとインド、あるいは代数と幾何学の合体

リーマン球は幾何学と代数が変換可能、すなわち等価である事を示している。私は幾何学と代数を合体させるにはゼロと無限の概念を複素数を使って置換する事が可能だという整理をした。

蛇足

魚は水に気づかない、人はゼロに気づかなかった