毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

3500年前の甲骨文字が記録した内容は今と一緒

BC17C頃 -BC1046年

考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝。文献には夏を滅ぼして王朝を立てたとされ、最終的にBC11Cに周に滅ぼされた。(Wiki)

 

甲骨文字に歴史をよむ (ちくま新書)

落合氏は甲骨文字と殷代史の研究家、「甲骨文字は漢字の一つの書体であり、それが三千年以上にわたって継承されてきたのである。そのため、はるか昔の古代文明である甲骨文字も、現在の漢字に置き直せば容易に読むことができる。」(31ページ)、本書はその研究を紹介。

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新华网河南频道--河南考古

 

 

殷代史研究の中心資料である甲骨文字とは、殷代に行われていた骨占い(甲骨占卜)の内容を記録したものである。中国では、新石器時代から動物の肩甲骨を使った占いが行われてきた。骨の薄く平たい部分に熱を加えると不規則なひび割れが発生するので、そのひび割れの形によって将来を占うのである。殷代の甲骨占卜は祭礼や穀物の収穫など王朝に関わる事柄か、あるいは王や要人の安否に関することに限定されていた。(19ページ)

殷代後期の甲骨占卜では占卜の操作や内容の改竄により王の都合のよい結果を作り出していた。殷代の王は甲骨占卜を利用して政治を行い、王朝を統合する一つの手段としていたのである。(27ページ)

 

甲骨占卜の解読により当時の社会を推測

殷代は温暖化と言われる現代より更に暖かく、降雨も多かったと推測されており、甲骨文字にも冬に降雨を占ったものが見られる。(69ページ)

工業については、当時の最先端の科学技術は青銅器の生産であった。青銅は、銅を主成分として錫などを混ぜた合金であり、石器に比べて硬いだけでなく、淡い金色をしており見た目が綺麗である。祭礼様の青銅器は神や祖先に捧げるものであるから実用ではなく飾り物であるが、実用の陶器をモデルにしており、鼎(かなえ)と鬲(れき)は煮炊きの器具である。(77ページから再構成)

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考古学の発掘によれば、当時の農民は竪穴式住居に住み、石器や木器を使っていたという。(78ページから再構成)

殷墟から発掘された子安貝の貝殻であり、これが元になって「貝」の字が作られた。子安貝甲骨文字や金文では宝の一種としてのみ記載されている。(100ページ)

殷代の王の権力として、祭礼権・軍事権・徴税権・徴発権を認めることができた。(121ページ)

社会構造を創っているもの

各々の社会の持つ経済的水準、技術的水準はまちまちだが、社会の構造自体は現在と比較しても、あるいは地理的にも差異を認めない、と前提にする。甲骨文字、甲骨占卜、青銅器、徴税権、これらは現在のアカデミズムの権威の独占、国家による情報統制、ハイテク工業品、そして公共事業、と同じであると見えてくる。

蛇足

今から3500年前、温暖な気候が世界的な文明の発達の共通因子。