毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

中国成立前、文明はどこまで遡れるか?

 

中国成立以前の時代、文明はどこまで遡れるか?

 中国文明の歴史 (講談社現代新書)岡田氏は東洋史の研究家。

 

(BC2070-BC1600)

中国最古と伝承される王朝。史記、竹書紀年など中国の史書には初代の禹(う)から末代の桀まで14世17代、471年間続いたと記録されている。(Wiki)

洛陽盆地が中国の中心

黄河中流の渓谷に都市文明が発生したのは、この地方の生産力が高かったからではない。むしろ黄河が交通の障害だったからである。洛陽盆地は、黄河の氾濫の危険に直接おびやかされることなく、それを貫通する洛河とその支流伊河は。原始的な技術で十分に灌漑工事が可能であった。もっとも重要なことに、東アジアの南北を結ぶ陸路と水路の結節点にあたっていたのである。「南船・北馬」というが、「南船」と「北馬」が出会うのが、この洛陽盆地を中心とする黄河中流の岸辺なのである。(31-32ページから再構成)

絹の道(中東、地中海)、毛皮の道(古代シベリア)、海の道(南シナ海)の交通の要所であったと説明する。黄河文明の最初の王朝が夏である。

夏の世界

中国の古い文献では、非中国人を「蛮、夷、戒、狄」の4つに分類し、それぞれ方向に配当しているが、これは洛陽盆地からみた、それぞれの住地による呼称である。(41ページ) 

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東夷が農耕および漁労、南蛮が焼畑農業、西戒が遊牧民、北狄が狩猟民、そして中国人が夏、夏人は商人、と説明する。

中国文明は商業文明であり、都市文明である。北緯35度線上の黄河流域の首都から四方に広がった商業網の市場圏に組み込まれた範囲が、すなわち中国なのである。(73ページ)

中国文明の言語~人工語

漢字はもともと、同じ字形にいくつもの意味をあてて、それぞれをタイ系の夏人の言語で読んだものであるが、のちに整理されて、一つの漢字にはただ一通り、それも一音節の語をあてて読むようになった。(中略)表意文字の大系であるから、言語を異にする人ぼとの間の通信手段として使えることになる。こうして作り出された人工的な言葉は、日常の言葉とはぜんぜん違う、文字通信専用の「言葉」となる。これが雅言である。(72ページ)

中国語は、市場で取引に用いられた片言を基礎とし、それを書き表す不完全な文字体系が二次的に生み出した言語なのである。(73ページ)

蛇足

南蛮の由来が3000年以上前に遡るとは知らなかった。