毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

アラジンと魔法のランプの作者は誰?

小学5年生の学芸会の演目がアラジンであった。改めてアラビアンナイトに興味を持つ。

アラビアンナイトもしくは千一夜物語(Wikiより)

現存する最古のアラビア語写本は、9世紀の『千夜物語』(アルフ・ライラ)、おそらくは9世紀もしくは10世紀のバグダードで原型がつくられ、徐々に物語がつけ足されてゆき、15世紀ごろのカイロで最終的なかたちにまとめられたのではないかと思われる。シャハラザードは千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせ、終に王が若い娘を殺すのを止めさせたという物語が主軸となっている。

1704年にガランがフランスで発刊した時は夜数は282夜であり、物語の数は40話、ヨーロッパでの「残りの物語」探しが盛んになり、それに応じて中東でその後に多くの物語が付加されて、ついに19世紀には現在の1001夜分を含む形で出版されるに至った。

アラビアンナイト―文明のはざまに生まれた物語 (岩波新書)  

西尾氏は言語学・アラブ研究の研究者。

 アラビアンナイトは中世イスラム世界で生まれ、近ヨーロッパで再発見された。アラジンの物語が紛れこんだのは、このときではないかと思われる。やがてヨーロッパの市民社会が編集した「ヨーロッパ板アラビアンナイト」は、近代以後のいわゆるオリエンタリズムにもまれながら全世界へと広まっていった。そして現在ではアラブ文学としてでなく、世界文学の一つであると考えられている。(はじめにⅳ)

西尾氏はオリエンタリズム的視点と文明史的な意味からアラビアンナイトを分析する。

仮想の物語空間としてのオリエンタリズム的視点

宗教改革の時代には新教であるプロテスタント、旧教であるカトリックともに、相手を異教であるイスラムに比定し、異端として非難しあった。このような状況に典型的に見られるように、近代移行のヨーロッパは「もの言わぬ他者」としてのオリエントを触媒として、自己規定を行った。(204ページ)

ヨーロッパのイスラム感は(中略)、彼我の力関係が逆転した近代以降は「進んだ文明の地ヨーロッパ」に対する「遅れた野蛮の地イスラム諸国」という見方が優勢になるのは否めない。アメリカはこの様なイスラム観をヨーロッパから引き継ぎ、ヨーロッパ以上の仮借なさでイスラムという新しい敵を攻撃し、かつ「矯正」することで自分達のアイデンティティーを確立していこうとする試みである。(93ページ)

文明史的な意味

イスラム社会で民話(昔話)集として発生したこの物語集は、特権的な語り手を想定する叙事詩的な物語郡に再編集され、ヨーロッパに移植された後では、投影された自己と挙行上の他社が主要人物として登場する文芸小説の母体となった。また、アラビアンナイトはヨーロッパに紹介される以前から、都市生活者が共有する民俗知識を集めた物語集としての(世界文学としての)機能を備えていた。(205ページを整理、一部加筆)

1875年英国で出版されたアラビアンナイトの挿絵から

 

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 アラビアンナイトの挿絵にはジャポニズムの影響が見いだされると西尾氏は指摘をする。またアラビアンナイトの影響は指輪物語、ハリーポッター、ハウルの動く城、などに見いだされると分析する。文化は人類が共有すべきもので特定の集団に属するものではない。