毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

若田光一船長の搭乗したソユーズの歴史

 若田光一船長、のtwitterにすばらしい画像が掲載されている。

https://twitter.com/Astro_Wakata

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ソユーズとは(Союз)

ところで若田氏が乗り込んだソユーズとは如何なるものか?ソユーズは、ロシアの1 - 3人乗り有人宇宙船。ソ連の有人月旅行計画のために製作されたが、ソ連の宇宙ステーションへの連絡に使用され、登場から40年以上経た21世紀初頭でも国際宇宙ステーション (ISS) への往復用などに現役で使用されている。名称の 「ソユーズ」は「団結、結合」という意味。ソユーズの打ち上げには、通常R-7というミサイルを改良したロケットが使われる。現役の有人宇宙船としては最も安全で経済的であるとされ、極めて高く評価されている。既に30年以上に渡って死亡事故を起こしておらず、その信頼性は極めて高い。(wiki)

コリョコフ(1907~1966)

1940~1960年代当時ソ連の宇宙開発の総責任者であり、宇宙船ソユーズを打ち上げたR-7の開発責任者がコリョコフ。

(以下、的川氏の本から抜粋)

コリョコフが衛星を運ぶロケットとして想定していたR-7は1957年4月大陸間弾道「R-7(愛称セミョールカ)」を打ち上げた。セミョールカは、ダミーの水爆爆弾を付けて、バイコヌールからカムチャカ半島までおよそ6400キロメートルを飛んだ。(102ページ)

ーその6カ月後1957年10月ー

ソ連邦は衛星打ち上げを実現する世界で最初の国家」を目指し世界初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げた。コリョコフは「私が生涯をかけて待ち望んでいたのは、ただこの日のことだ!」(105ページ)

ーいつから考えていたか?ー

(1945年、ドイツで開発使用されたミサイルである)Vー2ロケットの故郷はソ連に接収された。そしてコリョコフはすぐに、その調査を命じられた。(中略)コリョコフは、もし「射程距離をだんだんと大きくすれば、最終的には、地球の起動を回り続ける人工衛生を作る事ができる」・・・・「もし更に速度を40%ぐらい増やせば月にいける。」(プロローグⅶ)

ソユーズの源流はドイツが第二次世界大戦で開発したV2ロケット。この開発者はフォン・ブラウン(1912~1977)

 

月をめざした二人の科学者―アポロとスプートニクの軌跡 (中公新書)

的川氏はロケットおよび人工衛星の研究者、本書は「粛清で強制収容所に送られながら、後に共産党中央委員会を「恫喝」して世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたコリョコフ。「ナチスのミサイル開発者」として白眼視されながらも、アポロ計画を成功に導いたフォン・ブラウン」の軌跡。(2000年版)

1971年的川氏にフォンブランは以下の様に語った。「わたしの宇宙への夢は、人道的な立場からロケットの研究を中止にするには、あまりにも強かった。その頃の私は、宇宙旅行の実現に向かって大きく前進できるならば、悪魔に心を渡してもよいとさえおもっていたのです」(プロローグⅴ)

宇宙と政治・軍事、

ソユーズの源はコリョコフとフォン・ブラウンに行き着く。二人とも宇宙に思いをはせ、政治と軍事に翻弄され、多くの犠牲の中で夢を実現した。歴史になりつつある宇宙開発競争が蘇る。