毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうしてこの名前にしたの?

下の子供から自分の名前について聞かれて、その由来を説明しました。本人は「もっといい名前があったのでは?」と言っていました。

でも仮に名前が別の何であっても私と妻の(二番目の)子供である事に違いはありません。

 架空の人物でも前はあります。星飛雄馬は存在しません、でも我々はかなりの確率でその名前も、そしてその名前がさす想像上の人物も認識しています。

  分析哲学講義 (ちくま新書)

 名前と述語の関係は述語論理学と呼ばれ、関数と量化表現の組み合わせで構築されているそうです。関数の答えを「変項」、量化表現とは「すべてのものは」と「あるものは」の組み合わせで表現される事です。

「すべての人間」の中で「私と妻の二番目の子供」という関数式の結果である「変項」が「下の娘」と記述できる事になります。

 今私と子供で共すべき事は重要なのはその関係性であって、名前につけた私の妻が当時考えた由来、なのだという当たり前の事で、述語論理学を使って更に何等かの付加ができるか考え中です。