毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

50年前に予測されていた、モノづくり信仰の危険性~『 情報の文明学 』梅禎 忠夫氏(1966)

 情報の文明学 (中公文庫)

 物質とエネルギーの産業化から、精神の産業化へ―。情報産業社会の到来をいち早く予告し、その無限の可能性を人類文明の巨大な視野のもとに考察した、先見性と独創性に富む名著。(初掲載は1963年)

モノづくり信仰の危険

農業こそは国の産業の根幹だというような意味での農本主義イデオロギーが、明治中期から昭和にかけてずっと日本を支配し、それが日本の近代化に対して非常におおきな反動的役割をはたしてきています。・・・ところが工本主義もまた、反動イデオロギー化するおそれがあるということです。工業生産第一主義が、いまは日本の進歩の足をひっぱる可能性がでてきている。もう工業の時代では必しもなくなりつつある。・・・情報産業化というのはひとつの時代のながれ、時代の動きだということを見さだめて、それに歩調をあわせる方法をかんがえてゆくべきではないか、・・・(138ページ)

移りゆく重点

・・・現在の発展しつつある情報産業は、やがてきたるべき(人体の脳神経系統に表象されるような)外胚葉産業の時代、つまり、精神産業の時代の夜明け現象だ、黎明期だ、というようにかんがえています。もちろん、工業の時代においても、農業がなくなったわけではない。むしろ工業の発展につれて生産力が上昇してゆく。たとえば日本の農業でも、工業が膨大な窒素肥料というものを作り出したことによって、あるいは農機具の大量生産をやりだしたことによって、農業それ自体が大発展してきました。おなじような、工業から情報産業へうつってゆくときに、工業はなくなるどころか、ますます発展するでしょう。(134ページ)

工業の情報化

工業生産の大部分は、今日においても、いわゆるフィードバックのシステムを持っていません。・・・工業の情報産業化ということだと思うのですが、つまりフィードバック組織がしだいに確立して、工業のなかからエレクトロニクスのようなものがどんどん発展してくることによって、工業自体が非工業的なものに移行しはじめている、そういうことだと思います。(137ページ)

 

情報産業論再論~1966年講演より

情報の文明学を取り上げるのは2度目。

トヨタの生産方式が米国でリーン生産となって、産業界全体が時間を短縮するマネジメントを行っている。現在のIOTもその流れに沿ったトレンドとして理解できる。このトレンドをどう理解したらいいか?

梅棹氏は、生物が内胚葉→中胚葉→外胚葉という様に発展してきた。このアナロジーから産業が最終的に情報産業に到達すると説明する。

昨今の日本では、モノづくり、Made in Japan,を強調する風潮が一部にある。梅禎氏はこの反動イデオロギーを50年前に既に予測していた。フィードバックシステムがトヨタの生産方式、あるいはIOTと概念が共通することを指摘するまでもない。農業が工業によって効率化したように、工業が情報産業によって更に効率化していく。過去50年、工業の発展は実は情報産業によって支えられていたと理解すべきである。単純なモノづくり信仰は単なる懐古趣味に陥る可能性がある。

今から50年前の情報産業論はこれから50年にも当てはまる。

蛇足

情報とは伝達・解釈されて初めて意味を持つ

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