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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

正解のある"勉強"、正解のない"学び"の違い~『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』堀江貴文氏(2017)

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

義務教育の「常識」を捨てろ、「好きなこと」にとことんハマれ!(2017)

 

没頭するとは「学び」のこと

没頭する対象なんて、その気になればいくらでも見つかる。あなただってきっと、すでに出合っている。でも自分で自分にブレーキをかけているのだ、「こんなの、できっこない」と。(86ページ)

自分で行き先を決め、アクセルを踏む生き方のためには、「学び」が不可欠だ。・・・僕が言う「学び」とは没頭のことだ。脇目をふらずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。(87ページ)

教科書とは先人の没頭の副産物

知の巨人としてあまりに有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ万有引力の法則を発見したニュートン。現代物理学の父アインシュタイン。彼らのような人々がそれぞれ自分の抱いた疑問の検証に寝食忘れるほど没頭し、そこでの発見を後世に残したからこそ、学問の体系は成熟した。彼らは「お勉強」していたのではない。ただ目の前のことにのめりこんでいただけだ。・・・彼らは心の赴くままに学び続け、道なき道を突き進んでいった、見習うべきイノベーターの先輩たちなのである。・・・学びとは、知の地平線を拡大する、つまりイノベーションを起こしていく過程そのものなのだ。それは当然、「自分の進むべきルートを自分で創り出す」こととも重なる。今僕たちが目にするう教科書も計算ドリルも、すべて誰かの没頭の副産物にすぎない。(92ページ)

何に没頭するか?

自分が求めているものは何か、やりたいことは何か。今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考え抜くのである。それがあなたが何に(没頭する時間という)資本を投じるかを決める原動力となる。(168ページ)

我慢するな

僕をふくめ、一般的な学校教育を受けた人たちは皆、「いざという時」のために学校に通わされ、役に立つのか立たないのかわからない勉強をさせられてきた。その間はもちろん、やりたいことを我慢し、やりたくないことも受け入れるしかなかった。・・・我慢が習慣化しているからだ。学校教育が創り出すのは、こうした無自覚の週間に他ならない。(7ページ)

 

すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論

堀江氏は皆我慢をすることに慣れきっっているという。与えられた課題をこなすことに慣れ、自分が没頭できる課題を探する術を忘れてしまっている。自分が没頭する術を探すには我慢せずまずはやってみること、である。

そもそも教科書に載っている内容は誰かが未知のなかから切り開いた「学び」の成果、である。しかしそれを勉強として強制されるとき、面白みは失われ「学び」の要素はなくなる。学校の勉強は普通「学び」にはならないのである。

それではどうすれば勉強ではなく「学び」をすることができるのか?我々がすべきは、何をすれば一番楽しいか、真剣に検討すること、である。一番楽しいことをしているとき、それが「学び」の時、である。

蛇足

何をしても自由、から逃げない

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