毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ハイテク企業に重要なのは技術か、マーケティングか?~『インテル 世界で最も重要な会社の産業史』M・マローン氏(2015)

インテル 世界で最も重要な会社の産業史

  半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」つまり「コンピュータの処理能力は指数関数的に向上していく」、1965年、インテルの創業者であるゴードン・ムーア博士が発表した論文に書かれていた半導体の能力に関する洞察は、「ムーアの法則」として、今日にいたるまで、情報産業にかかわるものが、逃れらない法則となった。(2015)

 

1991年、”インテル・インサイド” キャンペーン開始

「われわれが目指すのは、コンピュータの中でプロセッサを最も目立つ存在にすることだ。プロッサは本当に重要だが、ユーザーには見えない。ユーザーはプロセッサのことなど何も知らない。インテルのことも知らない。どうすればできるだろう?」・・・キャンペーンが始まった当時、インテルはエレクロノクス業界でしか知られておらず、一般の人々の認識は(創業者の)ボブ・ノイスが経営していた会社というものだった。だが9年後の21世紀が始まる頃には、「インテル・インサイド」のおかげでインテルコカ・コーラに次ぐ世界で二番目に有名な企業ブランドとなっていた。(471ページ)

インテルCEO(当時)のグローブの狙い

インテル・インサイド」キャンペーンは1990年代を通じて続き、投じられた費用は5億ドルに達した。マーケティング予算としてはP&GやGM並みで、エレクトロニクス業界っではおよそ累計はなかった。・・・(CEOのグローブ氏は)歴史的勝利によって独り勝ちの状態をつくりだし、業界のそれまでの流れを断ち切ってライバル企業が対抗する手立てさえ見いだせないようにするつもりだった。・・・ライバル企業はもはやゲームオーバーだと悟った。・・・インテルは未来永劫、マイクロプロセッサ戦争の勝者の座を確定したのだ。(472ぺージ)

インテル・インサイドの前哨戦~レッドX

(1989年、レッドXという新しいPC用マイクロプロセッサのプロモーションのために)それまでは(PCの)OEMメーカーだけを相手にマーケティングをしてきたが、このとき初めてパソコンユーザーに直接語りかけた。・・・インテルは大きなリスクをとることにしたわけだが、リスクのとり方は慎重だった。つまり「レッドX」キャンペーンを全国展開する前に、まずはコロラド州デンバーでテストをしたのだ。その結果が非常に良かったため。グローブは全国展開にゴーサインを出した。・・・大企業では珍しく経験から学ぶことのできるインテルは、レッドXキャンペーンから二つの重要な教訓を得ていた。第一に情報を詰め込んだ、どこまでも現実的な半導体業界の広告パラダイムはもはや通用しないことだ。高級消費財のような洗練された効果的な広告キャンペーンを成功させることも可能なのである。第二に半導体チップメーカーは、エンドユーザーに対するマーケティング消費財や工業品を製造する顧客に任せきりにする必要はないということだ。(470ページ)

インテル~世界でもっとも重要な会社

著者のマローン氏はインテルを「ムーアの法則」の番人という役割を引き受けている故に“世界でもっとも重要な会社”であるという。半導体を設計・製造するというハイテク企業であるから研究開発費は売上の10%にも達し、技術オリエンテッドであるのは当然である。

しかし1991年から始まったインテル・インサイドのマーケティング戦略はビジネスモデルを大きく変えた。これはPCがパーソナルな用途に広がることで個人顧客への訴求が重要になったタイミングで、インテルが他社に先駆けて始めた。チップをBtoBのビジネスモデルからBtoBtoCのビジネスモデルに変えた。このビジネスモデルの変更はテクノロジーだけでは達成できなかった。

インテルというまさにハイテク企業がマーケティング戦略によってビジネスを大きく変えた。そしてその前哨戦としてレッドXというマーケティング活動の成果があった。何も勝算なく巨費を投じてプロモーションをした訳ではない。そこにはステップを踏んだ展開があった。そして独り勝ち状態を作りたいという意思があった。日本の物づくりの中には良い製品さえ作れば売れる、広告は必要ない、といった風潮がある。インテルに比べると競争環境の厳しさの違いを実感する。

インテル・インサイド“は偶然生まれたものではなかった。

蛇足

マーケティングにもセオリーがある

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