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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

来世信仰たるキリスト教と資本主義はどうして共振するのか?~『「棲み分け」の世界史』下田淳氏(2014)

宗教 歴史

 「棲み分け」の世界史―欧米はなぜ覇権を握ったのか (NHKブックス No.1222)

  下田氏はドイツ史・ヨーロッパ史の研究家、かつて文明に程遠い周縁の地であったヨーロッパが武力によって世界を支配して以降、国際秩序に変化はない。彼らの飛躍的発展を可能にしたものは何か?(2014)

 

 

 

聖俗の棲み分け

「聖俗の棲み分け」とは、より正確に定義すれば「聖なる空間と俗的空間の棲み分け」と、「聖なる時間と俗的時間の棲み分け」である。・・・「聖」とはミサ(拝礼)・祈り・説教・告解・洗礼式などのキリスト教における宗教儀式全般を意味し、「俗」はそれ以外のあらゆる行為と定義する。(150ページ)

来世信仰VS現世信仰

キリスト教は来世信仰である。(ここでいう来世とは死後の世界のことである。来世といって「次の現世」と考えるのは仏教の輪廻思想の影響であり、両者は別物なので注意されたい)。つまりキリスト教は、現世は浮世の幻で、天国で救済されることを目的とする宗教である。来世信仰が知識人聖職者のキリスト教である。・・・しかし民衆の信仰にはもう一つ、より強力な信仰があった。現世信仰=奇跡信仰である。この世での救いを、神=キリスト、マリア、諸聖人に祈願したのである。・・・知識人聖職者のキリスト教は願掛け(現世信仰)を決して認めない。救わるかどうかは最終的には神の意思のみにあって、人間にはどうすることもできないというのが知識人聖職者の考えるキリスト教の原則である。・・・16世紀の宗教改革以降、プロテスタント諸派のみならずカトリックの知識人聖職者も民間信仰の“駆逐”に乗り出した。(167ページ)

聖俗の棲み分けは資本主義と整合性

聖俗の棲み分けは「能動的棲み分け」のはしりであったが、キリスト教の教えそのものから導き出すことができない。それはローマ・ゲルマン社会の知識人聖職者による意図的・能動的行為の結果として行われたのである。・・・聖俗棲み分けは、特定の空間と

特定の時間には一つのことしかできないという発想である。これが資本主義社会に適合的なのである。・・・ヨーロッパだけが聖俗の棲み分け(それが時間・空間の能動的棲み分けに連動していく)に成功したのはなぜか?それは、資本主義を効率的に運転しようとする「努力」の結果であったと考えられる。(170ページ)

 

「棲み分け」の世界史

下田氏はドイツ史、ヨーロッパ史を研究する過程で宗教施設から俗的行為が徹底的に排除されたのは19世紀以降であってそれ以前は混然としていたと指摘する。聖俗の棲み分けを徹底したのはヨーロッパ・キリスト教社会でありそれは資本主義を加速させることになった。この仕組みは世界に伝播し他の地域・他の宗教でも聖俗の棲み分けは行われているがそれはヨーロッパの影響であると言う。指摘のとおり、日本の戦国大名は寺に陣を構え戦にのぞみ、イスラム教のモスクは今でもコミュニティセンターの様に聖俗一体となっている。

キリスト教の最終目的は天国に行けるという来世信仰である。突き詰めると来世のために現世では労働だけに勤しむ、という棲み分けの発想になる。ヨーロッパの覇権確立以降、我々も来世信仰と資本主義の行動様式で行動している。それは資本主義的に時間の効率性を高めるのには効果的であった。しかし、資本主義の効率が高まった今日、あるいはヨーロッパにとっての辺境の消滅した今日、聖俗棲み分けによる労働の純化が労働のモチベーションを稀薄化させていると考える。ヨーロッパ的聖俗棲み分けは過去からそうであった訳ではないし、世界的にみればそれ以外の地域も存在していたのである。

蛇足

聖俗の棲み分けは効率的だが唯一の正解ではない。

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