毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

いつ、カースト制度はインド社会に導入されたのか?~『 インド人の謎』拓 徹氏(2016)

 インド人の謎 (星海社新書)

 拓氏は現代カシミールの社会史・政治史の研究家、混沌のインドはいつから混沌のインドになったか?(2016)

 

カースト制度はイギリスが再定義した

広大なインド亜大陸を統治するにあたり、イギリス政府にはインド社会の性格を理解する必要がありました。そこで18世紀末から19世紀初頭にかけて、イギリスのインド統治関係者や西欧の東洋学者らは、インドの「歴史的本質」を古代サンスクリット語聖典に求めました。・・・そしてこのときはじめて、古代サンスクリット語聖典にあるバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラというカテゴリーがインド社会全体に適用され、これら四ヴァルナ(階層のこと、これに不可触民)によって構成された「カースト社会」であるという観念が成立したのでした。・・・さらに都合の良いことに、イギリスが入り込む時期のインドには、ちょうどこのヴァルナの考え方に当てはまるような社会が出現していました。・・・ですがこのことは同時に、ヴァルナ制度が古代からえんえんち変わることなくインドで存続したという錯覚をも生み出しました。(51ページ)

日本もカースト社会だった?

日本社会もつい百年ほど前までは、多様な身分や階層の区別で覆われていました。インド社会がかかえる多様性は、じつはそれほど特殊な現象ではないのです。・・・日本の場合は幸い、こうした(戦前の近畿地方の部落問題など)多様な社会集団の区別はその後、次第に忘れられて行きました。

ですが、もし日本が当時、欧米列強の植民地だったらどうでしょう。そしてこうした多様な社会集団の区別が、植民地政府の手で国勢調査のさい詳細に記録されることによって、日本社会の中に永く残っていたとしたら?

イギリス植民地時代のインドで起きたのは、まさにこうしたことだったのです。(49ページ)

近代以前のインド

18世紀以前のインドでは農民は、土地に必ずしも従属しておらず、かつ国土には森林地帯に囲まれており、豊かな社会を形成していた。従って近代以前のインドでは高カーストの地主総が低カーストの小作農を搾取する定住農耕的な村社会を形成してはいなかった。

カースト制度はイギリスが植民地支配の為に再定義した。そもそもカーストという名称自体がポルトガル語の血統に由来、インド固有の言葉ではなかったという。

著者は「インドの多様な宗教、言語、文化までもがあたかも古代の遺跡群と同様、千年近くもその姿を変えずに存続しているかのような錯覚をもたらしています。・・・インドの有名な「カースト制度」についても、それが古代から形を変えずに存続しているという風に考える向きがあります。」(4ページ)という。カーストは植民地経営によって現在の姿になったのである。

拓氏は戦前の日本と対比することで、カーストと植民地経営について教えてくれる。

蛇足

カーストの根底には人種差別の思想

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