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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

命の危険があるから意味がある~『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介氏(2009)

 空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)

 角幡氏は冒険家、チベット、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる場所があった──。(2009)

 

チベットの母なる川、ツアンポー川

ツアンポー川チベット高原を横断しインドへ流れ込む、長さ2900キロに及ぶアジア有数の大河である。チベット最初の王朝が成立したのもツアンポー川、乾燥したチベット高原で農業が営めるのもツアンポー川チベット人の起源を占める神話の舞台もツアンポー川、この川はヒマラヤから中央アジア一帯にわたり独自の仏教文化圏を形成するチベットのまさに母なる川なのだ。(16ページ)

特異な気候

チベット高原が乾燥しているのは、ヒマラヤの高峰が壁となりモンスーンの湿った空気が南から入り込むのを防いでいるからだが、・・・ツアンポー川はそのヒマラヤ山脈を深く切り裂き、大峡谷を形成してインドに流れ込んでいる。それが巨大な通気孔となる、南から湿った空気が入り込んでくる。(29ページ)

ツアンポー峡谷の全体的な「悪さ」は、雨よりもむしろこの日当たりの悪さに主な原因があった。・・・私が進んでいたかわの右側の斜面は北向きになる。つまり中国測量当局が最大深度6009メートルとはじき出した世界で一番深い谷底の、最も日当たりの悪いところを延々と進まなければならなかったのだ。

おそらく地面が乾くということが、ここ数百年ほどなかったのだろう。地肌には耕運機で起こしたような柔らかい土が、濡れた岩に薄くのっかっているだけで、気を抜くと滑って落ちそうになる・・・今足を置こうとしているところは滑り落ちる危険はないか、今つかもうとしている木は折れることはないか、・・・少しでも気をゆるめたら致命的な結果を招くのは明らかだった。(251ページ)

冒険の位置づけ

今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の見極めなければ価値を見出すことは難しい。・・・私は旅のやり方にこだわった。自力と孤立無援、具体的にいえば単独行であることと、衛星携帯無線電話といった外部と交信できる手段を放棄することが、私の旅では重要な要素だった。・・・私はツアンポー峡谷に裸一貫で飛び込み、命からがら逃げ出した。(293ページ)

冒険とは生きること

論理をつきつめれば、命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との対峙という要素しか残らないだろう。・・・あらゆる人間にとって最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。・・・死が人間にとって最大のリスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。(294ページ)

空白の5マイル

本書によればツアンポー峡谷の探検は1878年に開始された。ツアンポー峡谷の最悪な環境は探検家たちの進路を阻み、空白の5マイルといわれた未確認地帯の約8キロメートルが確認されたのは何と1993年のことである。ツアンポー峡谷は世界最大の峡谷であり、世界最後まで残っていた空白地帯だったのである。

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極限状況下で生を感じた冒険譚を記したい|INTERVIEW|Faust A.G.

現代はGPSと無線によって地球上のどこにいても地理的孤立から無縁の時代になっている。その時代に冒険をしようとしたらどうすればいいか?

角旗氏は2003年に続いて、2009年に再度この峡谷に挑戦する。GPSも携帯電話も持たず一人で立ち向かった。24日に渡る冒険は悪天候、害虫に苦しめられる、読んでいるだけで気分の滅入るような連続である。食力と体力を使い果たし“命からがら逃げ出す”ことに“成功”する。

角幡氏は冒険とは命の危険があるからこそ意味がある、と書く。すべての人は生きる意味は何か?より良い人生を送りたい、と考えて生きている。しかし予定調和的な中に人は意味を見出しにくい。多くの人にとって冒険が興奮を引き起こすのは、命と冒険の意義とを交換していることが明確だからである。

我々の生活は冒険と違って命の危険はない。しかし毎日、毎時間、毎分、自分の人生を削っているのだとしたら、そこには何らかの意義があった方がいい。つまりは冒険的な要素、不確実な存在を前提に挑戦することでしか満足は得られない。

技術の進歩によって冒険の領域が狭まった様に、我々の生活からどんどん不確実なものが消えていっているのかもしれない。だからこそ不確実なものに挑む姿勢が大切なのだ。

不確実な要素があれば、日常も冒険になる。ビジネスの冒険、料理の冒険、アートの冒険、スポーツの冒険、範囲は問わない。

蛇足

人生には不確実が必要

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