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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

あなたのコミュニュケーションは知らずに乱暴になってる?~『 14歳の子を持つ親たちへ』内田樹氏×名越康文氏(2005)

家族

 14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書)

思春期の子どもたちと日々向き合う精神科医と、「成熟」や「学び」について考えつづける仏文学者が徹底的に語り合う。(2005)

 

問題は親の方 

子どもは色々とシグナルを発信しているのに、母親がそれをほとんどシステマチックに無視する。でも、その子の中の「承認可能な部分」についてだけは、反応する。成績がいいとか、スポーツがうまいとか。でも子どもが弱っていたり、苦しんでいたりすることを伝えるシグナルには反応しない。(内田46ページ)

(親は)自分のコミュニュケーションの取り方で他の人とコミュニュケーションが取れていると信じ切っていたら、そこで破綻することはないですよね、自己イメージが崩れることはない。・・・親の場合はもう(コミュニュケーションはとれていると思い込む)そういうノウハウの中で生きていますから、省みる感性がない分、平衡状態をちゃんと保てるんですよね。(名越47ページ)

臨床でも、小さいお子さんが時々来るんですよね。で、小学校の中学年、低学年なんかで、不登校にちょっとなりかけているような子どもというのは、たいていすごくシャイな子なんです。これも僕の治療家的感覚からすると、彼らは非常に内面が豊かな子なんです。豊かな子だから、簡単には表現できない。で、親御さんを見ると、子どもよりはずっとガサツな人。ある意味感性が鈍い。(名越57ページ)

14歳の子どもたち

子どもたちが置かれる集団っていうのは、均質性が高くなればなるほど住みにくなるに決まってるんです。・・・所有している知識や財貨の共通性が高ければ高いほど、それを「持っていない」ということが致命的になるんだから。(内田131ページ)

本来、十代の前半というのは、個性がもっとも先鋭化する、もしかしたら人生の中で一番賢い時期かも知れないです。毎日こう伸びるでしょう、ビョンビョン、ビョンビョンと。(名越147ページ)

 親は役割である

家族での対話の基本というのは、「お腹減っている?ご飯あるよ」とか、「お風呂入る?湧いているよ」とか、「眠い?お布団干しておいたよ」とか、そういう生理的な快の提供と不快の除去というところにあると思うんです。(内田60ページ)

親がどう思っていようとも、子どもが親の望む通りに育つことなんてまずないです。子どもの集中力を削ぐようなことをあまりせずに、子どもを信じて親の方は控えて見てたらいいんじゃないでしょうか。子どもがグーッと一つのことにのめり込んでいる時に、つい邪魔しちゃう大人って多いんです。(名越184ページ)

14歳の子を持つ親たちへ

私もかつて14歳の子どもだった。その時何を考えていたか、あまり記憶に残っていない。親は長年の経験から他人とのコミュニュケーションからストレスを感じない方法を身に着けている。結果コミュニュケーションはある意味乱暴になり、子どもの持つ繊細な感情を汲み取ることを忘れてしまう。私自身自分の楽なコミュニュケーション方法に依存し、随分無神経になっているのであろう。聞きたい話だけ聞き、言いたいことだけ言う。問題は子どもではなく、親の方である。

円滑なコミュニュケーションとは、双方にとって心地よい物心両面での関係があって初めて成立する。本書は親子と銘打っているが、すべての人間関係で同じである。

蛇足

まずは家族でご飯を一緒に食べる

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