毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

近代化はいつ始まったのか?~『近代化の理論 』富永健一氏(1996)

近代化の理論 (講談社学術文庫)

富永氏は社会学の研究家、多面的に「近代化」をとりあげ、その起源を小封建領主割拠の中世から国民国家に統合された西洋の歴史に求める。(1996)

 

 

近代化

西洋史上での近代化はルネサンス宗教改革と地理上の発見に始まったと考えますと、それはすでに500年の歴史をもっており、東洋におけるよりもはるかに長いわけです。しかしルネサンス宗教改革や地理上の発見が行われた15~16世紀の時期には、ヨーロッパの政治と経済と社会はまだ中世そのものでした。ガリレイからニュートンにいたる科学革命、ホッブスやロックやデカルトなどの近代思想の始まり、そしてイギリスのピューリタン革命が17世紀、アメリカ独立革命フランス革命とイギリスの産業革命が18世紀のことでしたが、産業革命ヨーロッパ大陸を覆うようになるのはやっと19世紀になってからでした。

眠りについた日本

日本では、家光が鎖国令を発したのが1635年であったことが重要です。このころ西洋では、ガリレイが『天文対話』を出版していました。(1632)すなわち日本は、おりから西洋が近代科学にむかってすすみはじめたまさにその時期に、西洋に対しみずから国を閉じ、二千年前の中国の学問である儒教の世界に引きこもったのです。(51ページ)

明治維新

政治変革としての明治維新が近代化へ向かう精神によって動かされていなかったことは歴然としています。なぜなら、維新とは「王政復古」であり、王政復古とは制度的には古代の律令制への復帰にほかならず、つまりさしあたってそれは「近代化」ならぬ「古代化」だったのですから。しかし・・・明治政府は急速に近代化・産業化の何たるかを理解し、そのための政策をとるようになります。この点で決定的に重要なのは、「明治6(1873)年の政変」と呼ばれている分裂をきっかけとしての、明治政府そのものの変質(大久保利通ら近代化派が伝統主義派を排除した)でした。(377ページ)

近代化は普遍的

近代科学や近代技術や資本主義や民主化都市化は、こんにち西洋たると非西洋たるとを問わず、世界の多数の国の人びとによって担われ、推進されています。すなわちそれらはすでに、普遍文明にまで高められているのです。(52ページ)

近代化の理論

本書では近代化を、産業だけでなく、政治、社会、文化の4つの側面に分ける。近代化の第一歩はルネッサンス宗教改革、地理上の発見であり、500年に渡る一連の運動ということになる。近代化というと資本主義、あるいは産業革命という技術的・産業的側面を意識するが産業の近代化が成立するには政治、社会、文化の近代化も進んでいなければ社会全体の変革には繋がらならない。

日本が近代化で西洋に対し遅れをとり始めたタイミングは400年前だった。明治維新を契機に、150年からキャッチアップを開始する。その後日本の近代化をモデルとしてアジアの国々が近代化に着手することになる。近代化とは500年の歴史を持つ、人類普遍の運動なのだと理解する。私なりに近代化を一言でまとめれば、合理的に行動すること、になる。人類すべての人にとって合理的な行動を忌避する必然性はどこにもない。

蛇足

近代化は西洋だけのものではない

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