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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

100年前、オスマン帝国は対外債務に押しつぶされた~『オリエント世界はなぜ崩壊したか』宮田律氏(2016)

オリエント世界はなぜ崩壊したか: 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智 (新潮選書)

 宮田氏は現代イスラム社会の研究家、中東100年では100年前、何があったのか?

 

 

オスマン商業の発展

オスマン帝国の拠点であるアナトリアは東アジア、インド中東、中欧、東欧を結ぶところに位置し、陸路、あるいは海路による中継貿易の拠点であった。・・・オスマン帝国は、黒海エーゲ海、東地中海を支配し、経済的には一層発展していった。・・・こうして交易国家として、繁栄を極めたオスマン帝国だが、もちろんそれを支えたのは、キャラバンだった。(117ページ)

陸上から海上へ

イギリスとオランダがインドと東インドにそれぞれ植民地をつくり、東方の香料貿易に直接参入するようになると、オスマン帝国の交易はたちまち停滞するようになった。・・・1625年、ヨーロッパの国々は地中海地域に陸路で輸送する香料貿易を断った。こうして国際的な貿易力を失うことによって、大帝国を築いたオスマン・トルコの力は急速に衰えていったのだが、衰亡の決定打となったのは、これまでオリエントに対して劣勢であり続けたヨーロッパに起こった、あの「革命」であった。(119ページ)

産業革命

18世紀後半にイギリスではじまった産業革命は、・・・オリエント地域はヨーロッパ諸国の製品の市場であるとともに原料の供給地となることを余儀なくされた。(124ページ)

オスマン帝国の没落

オスマン帝国のスルタン(君主)など為政者たちは、軍隊や官僚機構の近代化を図った上、鉄道、港湾、道路などを建設し、灌漑施設も整備しようとした。・・・だが400年にわたって続いたオスマン帝国の統治機構は、すでに疲弊し、腐敗していた。税制も老朽化していた。然るべき資本もないまま、巨大な官僚機構、陸海軍の維持、さらには宮廷の奢侈も支えた上で、ヨーロッパの近代化に挑むことなど、到底無理なことであった。

結局、試みた投資はそのまま負債となり、いきおい外国からの借金は雪だるま式に増えていった。オスマン帝国は1854年からは主にフランス、イギリスから借款をうけるようになっていったがそこで発生する巨額の利子により、1875年、ついに元利償還不能に陥り、財政は、事実上、破綻した。(126ページ)

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オスマン帝国はヨーロッパとオリエントのど真ん中

 

オリエント世界はなぜ崩壊したか

その後イギリス、フランスなどの債権国はオスマン帝国から段階的に徴税権を収奪していく。最終的には第一次世界大戦中にオスマン帝国は植民地支配を目的とした人造国家に分割される。ヨーロッパが中東アラブ地域につくったのは、地理的な人工的境界の中につくられたステートに留まっていた。そして100年たった今も留まっている。

ラクダの陸上交易で栄えたオスマン帝国は海上輸送へのシフト、産業革命を経て、ヨーロッパによって分割された。その後油田が発見され地政学的重要性は増した。しかしオリエント世界は、かつて陸上貿易の中継地であった様な、欧米に対抗しうる経済的基盤を未だ見出してはいない。

蛇足

100年前オスマン帝国解体と現在、それほど大きく変わっていない。

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