毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

武士は天下泰平250年間何をしていたか?~『げんきな日本論』橋爪大三郎氏×大澤真幸氏(2016)

げんきな日本論 (講談社現代新書)

歴史上の出来事の本質を、社会学の方法で掘り下げる。(2016)

 

江戸時代250年とは何か?

この(徳川幕府)は長く持っているけれど実は根本的なウィークポイントがあった気がします。・・・安定しているがゆえの、幕藩体制の究極の歪み。領土はもう絶対に、拡大できない。でも統治にあたっている武士たちは戦闘集団である。戦闘なき戦闘集団という矛盾が、幕藩制のベースにある。(大澤氏325ページ)

武士の悩み

幕藩体制により)現状が固定されているなかで、やる気を維持させなければならない。レゾン・デトール(存在理由)を確保しなくてはならない。・・・その現状というのは、自分の先祖の戦闘における功績のことです。その上、今自分たちがやるように求められている仕事は、戦闘とはまったく関係のない事務仕事。

葉隠」という本があるじゃないですか。佐賀鍋島藩藩士・山本常朝が「武士道と言うは死ぬ事と見つけたり」という一文が有名です。でもね、世は泰平で、武士たちが死ななきゃいけなくなる時なんてないんです。戦わないのだから。かっこいい言葉だけれど、ドン・キホーテみたいに現実から遊離している。・・・「葉隠」は、武士道なんていうものは、ほとんどもうないからこそ語られていることだと思います。(大澤氏337ページ)

武士の存在意義

武士が幕藩体制のもとで、レゾン・デトール(存在理由)が危うくなっていたわけです。武士は、上に立つ何の正統性もないし、権威もない。・・・そうすると、武士が商人や農民から尊敬されるのだとか、特別だとかという意識は、武士にも、商人にも、おおむねなくなっているんですね。ですから、幕藩体制というタガが外れてしまえば、極めて自然に、全員が天皇の臣下である、ということになる。

幕藩体制のもとで、武士や大名の特権の意識と感覚が、完全になくなっていたということが、スムーズな明治政権への移行の背景になったと思います。(大澤氏408ページ)

げんきな日本論

本書は社会学のアプローチによって日本史を分析しようとしている。徳川幕府江戸幕府成立時点では他の大名に対し圧倒的軍事力を保持していた。しかし江戸250年の間、徳川は軍事力を独占しているという幻想によってのみ正統性を確保していた。それでは軍事力の担い手たる武士はどうだったか?

軍事力が必要とされていない以上、武士の存在意義が稀薄であった。平和な時代が250年、一代30年とすれば8代にもわたる泰平が続けば軍人たる武士の存在意義はない。

本書では江戸時代に幕府が儒学国学蘭学などを奨励したのは軍人たる武士に、行政官としての実務能力と存在意義を与えんがためのものであったと分析する。葉隠が理想とした武士は戦国時代で終わっていた。そうやって考えると「葉隠」は武士の自己啓発書だった。

蛇足

江戸時代、もっとも自由に活動できたのは商人

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