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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本で一番低い山を知っていますか?~『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか 』三中信宏氏(2009)

 

分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか (講談社現代新書)

三中氏は進化生物学の研究家、生物の「種」って何? それは実在するか? (2009)

 

 

日本最低の山は?

「日本最低の山」は、大阪湾にある天保山(標高4.5m)と認定されている。国土地理院が設置をする「三角点」は地図計測上の重要度に応じて1等から4等までのランクがある。天保山は二等三角点がある山々の中でもっとも低い標高をもつという意味で、「日本最低の山」なのである。・・・三角点がなくなれば、行政的には「山」ではなくなる。・・・「日本最高の山」が問答無用の強烈な説得力をもつのに対して、「日本最低の山」は何だかいいわけの多いもどかしさがついてまわる。(4ページ)

どうやって山を定義するか?

高い山ではなく低い山に目を向けると、「山」といえるかどうかの境界がぼやけてしまう。高い「山」の明瞭さは低い「山」のあいまいさの免罪符にはならない。だからこそ、国家や法律の助けを借りて「山である」と宣言するのである。・・・「連続なつらなり」からいかにして「離散的な群」を切り出すのか―分類という行為の根幹ははさにそこにある。そして、もともと分けられないものをあえて分けるという、分類そのものが抱える原罪的難問が同時に生じる。(25ページ)

種、とは何か

ヒトとイヌの間では生殖的な隔離のために子孫が残せない。(進化学者である)マイアは、有性生殖によって固体どうしが結びつた集団は「生物学的種」であると定義された。・・・しかし、生殖隔離のみを種カテゴリーの基準としていいのかどうかがその後の種概念をめぐる論争の発端となった。地球上には細菌や原生動物のように雌雄の性別をもたず、有性生殖をしない生物の方がむしろたくさん存在するからである。(41ページ)

分類することの難問

これまでの分類学は「分類される物」にばかり目を向けてきたのではないかと私は考えている。むしろ、「分類する者」がどんなような認知バイアスをもったまなざしで自然や生物を見ようとしてきたのかについてもっと考えるべきでなないだろうか。そのとき、「種」は「分類される物」の側にあるのではなく、ほかんらない「分類する者」の側にあるのだということが理解されるようになるだろう。(本書帯より)

ヒトの持つ認知バイアス

私たちは自らの目を通して、自然界や人間社会を見ている。それは確かだ。しかし、外からの視覚刺激を通してつくりあげた“世界観”は、生物としてのヒトの等身大スケールで縮尺されていることもまた事実だろう。・・・私たちヒトは、あるバイアスを帯びた“世界観”を形成し、その世界観のもとで実際に人間や生物や自然や天体について理解しようとしてきた。そのバイアスはほかならないヒトがたどってきた進化の過去の反映である。(70ページより抜粋)

分類思考の世界~なぜヒトは万物を「種」に分けるのか

分類し種を特定することは、ある種の「パターン認識」であり、どのようなパターン認識がヒトによって自然かによって決まる。分類の境界は厳密にはどこかに曖昧さを残している。我々人間はあらゆるものを分類し、名前を付ける。それはあるパターン認識の結果に名前を付けることである。

ヒトは周囲にあるものを分類し名前をつけて安心する。名前を付けることで自分達のパターン認識が他者に認知され、ますます強化される。生物学の分類をめぐる歴史は、分類はいつも曖昧であることを教えてくれる。

蛇足

雑草という名の草はなし、

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