毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

19世紀フランスのダンディーには馬車が必需品だった~『馬車が買いたい!』鹿島茂氏(2009)

馬車が買いたい!

  鹿島氏はフランス文学の研究家、十九世紀フランス小説の中で、青雲の志を抱いてパリへやってきた青年たちには、共通した願望があった。「馬車が買いたい!」(2009)

19世紀のダンディー

『パリで大きな顔をしようと思ったら、馬が3頭に昼間は二人乗り二輪車、夜は箱型四輪車と、乗り物だけでもしめて9千フラン(9百万円)がとこいるんだ。』(バルサックの小説からの引用、184ページ)

クーペ

クーペはわれわれが馬車という言葉で連想するイメージにもっとも近い「定番」的な馬車である。基本は四輪・有蓋の箱馬車ということだが、座席が前方だけを向き、向かい合わせになっていないという点がもう一つの4輪有蓋の高級箱馬車(ベルリール)とは異なっている。語源的には、ベルリーヌを真ん中から切った(クーペした)馬車ということで、二頭立て二人乗りが原則である。・・・一般に、クーペは今日の日本車でいえばクラウンとはセドリックなどのセダン・タイプの自動車に相当する格を持つと考えていい・・・(205ページ)

キャブリオレ

・・・キャブリオレは、1頭立て二輪車という点に大きな特徴がある。二輪という制約上、御者席はないので、運転は主人の隣の席の御者にまかせるか、あるいは馬車を御すのが好きな男は自ら手網を握ることになる。・・・現代ならさしずめ2シーターのポルシェかフェアレディZといった独身男性専用スポーツカーにでも相当するこのタイプの馬車は、いちおう折り畳み式の幌が付いてはいても、基本的には天気のいい日中に使用すべきものなので、夜の訪問や観劇には使えないとされていた。(207ページ)

なぜ馬車が必要だったか?

馬車や馬はダンディーたる者に欠かせないステイタス・シンボルではあったが、実はたんにシンボルであるばかりではなく、実用面でもダンディーはこれを必要としていた。すなわちオスマン改造(注)以前のパリでは、街頭に投げ捨てられた生ごみが馬車にひきつぶされて真っ黒な埃となり、舗石のうえに厚く留まっていたので、少しでも舗道の上を歩けばたちまちダンディーの装束が台無しになってしまったのである。(190ページ)

オスマン改造:セーヌ県知事であったオスマンによって行われたパリの道路拡張などの都市計画、1850年頃に行われた

 

fum2.jp

馬車を買いたい

馬車はヨーロッパではローマ時代から使われていたが一度は廃れる。17世紀ルイ13世の時代になってパリ市内の舗装が完成(1700年頃)すると馬車は飛躍的に増えた。その後馬車はサスペンションや方向車輪の採用によって機能的にもデザイン的にも完成を遂げる。「そして(19世紀から20世紀へと)世紀の変わり目と同時に自動車が現れ、馬車は19世紀と運命を共にするかのように社会から完全に姿を消してしまうことになるのである。」(214ページ)

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現在でも自動車にクーペとキャブリオレという言葉は使われている。馬車のスタイルからの借用だった。19世紀フランスの小説には馬車に関する記述が沢山出てくるという。馬車がダンディー=成功した若者のステイタス・シンボルであった。20世紀に登場した自動車は馬車からステイタス・シンボルとしての地位も引き継いだ。21世紀に入ってEV、自動運転、シェアリング・エコノミーなどは自動車のステイタス・シンボルの地位にどういう影響を与えるのであろうか? 確かなことは21世紀末、自動車も社会も大きく変化していること。

蛇足

フランスで馬車と言えば、高級ブランド、エルメス

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