毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

美術館はいつどこで生まれたか?~『芸術のパトロンたち』高階秀爾氏(1997)

 芸術のパトロンたち (岩波新書)

高階氏西洋美術史の研究家、芸術の保護者たるパトロン、王侯貴族の退場は何をもたらしたか?(1997) 

 

美術館の誕生

誰でもが容易に訪れることのできる美術館という思想は、博物館や『百科全書』の理念と同様に、知識の拡大と普及を目指した啓蒙主義の産物であるが、それが今日まで続くようなかたちで実現されたのは、フランス革命以後のことである。事実フランスにおいては、旧体制の時代にすでに王室コレクション公開の動きがあったが、ルーブル宮殿を美術館にするということを正式に決めたのは革命政府であり、1793年に、不十分なかたちではあったがルーブル美術館が開設された。(110ページ)

百科全書

フランスの啓蒙思想家ディドロとダランベールら「百科全書派」が中心となって編集し、1751年から1772年まで20年以上かけて完成した大規模な百科事典。(Wiki

啓蒙思想

理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。(Wiki

 鑑賞形式の変化

絵画や彫刻を観賞する場といえば、人はまず美術館や展覧会場を思い浮かべるが、18世紀以前においては、それは王族貴族の宮殿やせいぜい富裕な市民の邸館であり、あるいは教会のような公共の場というのが普通であった。(112ページ)

芸術作品への影響

第一に、芸術作品が、装飾や権威や宗教目的のためではなく、純粋に「芸術」として、つまり美的目的のために鑑賞されるという芸術の自律性を強調するものであったし、第二に、限られた特定の鑑賞者層から、開かれた不特定の鑑賞者層への拡大をもたらしたからである。(113ページ)

芸術のパトロンたち

フランス革命以前、芸術のパトロンは王侯貴族、教会、一部の富裕層に限られていた。芸術家はパトロンのオーダーに従って作品を完成させていく。フランス革命は王侯貴族を社会階層から排除し、芸術家は自らの意思で作品を芸術品として作成することになる。

芸術作品が単独で成立するようになると、それを解説批評する人びとが必要となり、芸術家と購入者を結びつける画商が登場する。本書によればフランスに今日の画商が登場するのは1820年の中頃、ルーブル美術館開設後30年のことである。

我々は、特に日本人は、王侯貴族のいた、教会が勢力を誇った時代を上手く想像できない。それは美術館が無かった時代を想像できないのと同様であろう。

蛇足

ルーブル美術館は、フィリップ2世が12世紀に要塞として建設した。

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