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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

21世紀とは誰もが不安な時代~『 二十一世紀をどう生きるか―「混沌の歴史」のはじまり 』野田宣雄氏(2000)

 二十一世紀をどう生きるか―「混沌の歴史」のはじまり (PHP新書)

野田氏はドイツ近代史の研究家、家族も職業も国家も拠り所にならない、不安と混乱の時代が到来する。(2000)

既に紹介した「20世紀をどう見るか」の続編

これまでの時代

近代の2、3世紀にわたって、職業というものがあったお蔭で、人びとは人生の空虚さと向き合うことを免れてきた。実際、中世の「身分」に代わって近代社会が生み出した「職業」というものほど、人びとを夢中にさせ、人生の空虚さから人びとの関心を逸らすに適したものはなかった。・・・近代社会が分業制に基づく職業社会であり、少なくとも法的な意味では職業選択の自由があったことは、多くの人びとに人生の目的と希望をあたえることになった。(83ページ)

これからの時代

21世紀には、人生の空虚という深淵から近代人の関心を逸らしてきた職業社会が揺らごうとしている。・・・もっとも重要なのは、これまで人生の空虚さが人びとの前にむきだしにあることを意味することである。(87ページ)

あえて新世紀(21世紀)の生き方の指針をしめせといわれるなら、この世紀がそういう歴史の上でも稀な大転換期であり、既成のモデルや倫理が通用しない時代だという認識を持つことだということになります。(203ページ)

こういう大転換期であるからこそ、どんなに失敗したり恰好の悪いことになっても、「生き延びる」ということが最上の価値になるのです。本願他力(注)の無限大の力から見れば、たとえば順調なエリート・コースを歩んできた者が失敗とか恥とか感ずる事柄など、命と引き替えにするには余りに小さなことなのです。(205ページ)

(注)本願他力:仏教用語で、阿弥陀仏が人びとを救済し仏となすはたらき

21世紀をどう生きるか

近代の過去2,3世には国民国家と市民の幸福な関係が続き、多くの人が幸せを実感できた。経済のグローバル化国民国家と職業の安定性を破壊した。その結果人びとは人生の空虚さに改めて直面することになる。野田氏はこれを21世紀を「私たちが日常の生活を営んでいる次元だけで人生を意味づけることが難しい」時代、と言う。

これから「混沌の歴史」が始まるとすれば、我々の職業、科学、芸術といったあらゆる活動が成果と成功を約束されていない。様々なものがアイデンティティを与えてくれないとすれば、宗教の役割が再浮上すると指摘し、野田氏は親鸞の本願他力に言及する。

私は宗教的よりもっと身近な行動として理解したい。失敗する可能性が高いなら、何もやらないか?失敗する可能性が高くても、やってみるか?混沌の時代に生きるからこそ、行動する勇気と自由を与えられたと解釈した。人間は混沌の時代から近代を切り開いた。我々は時間をかけて近代から次の時代を切り開く局面に立っている。

蛇足

誰も不安から逃れられない

(そうか、私だけじゃないんだ、)

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