毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

エクスターネット的、という意味~『さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について 』家入一真氏(2016)

 さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について (中公新書ラクレ 560)

自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。 パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?(

2016)

 

 

僕は確かにインターネットに救われた

そもそも不登校になり、いわゆる引きこもりになったぼくの人生は、「インターネットに救われた」といっても過言ではありません。・・・(インターネットには)その「可能性」や救い。それこそが、当時の希望あふれるインターネットの姿を導き出すヒントのように感じます。・・・(1992年当時)パソコン通信はぼくがそれまで失いかけていた、人との距離を取り戻すサポートをしてくれました。その小さな世界のつながりが持っていたやさしさには、今も感謝せずにいられません。、(37ページ)

現在のインターネット

最近、ぼくは「インターネット=居心地のいい小部屋」のように感じる機会が増えています。手を伸ばせば書棚からお気に入りの本が取り出せる。目前のテレビをつければずっと好みの番組だが放映されて、オーディオのスイッチを入れればお気に入りの曲が絶え間なく流れる。こぢんまりした部屋の中に好きなものがすべて揃っている、といったイメージといえば伝わりやすいでしょうか。(120ページ)

インターネットからエクスターネットへ

かつてぼくたちがインターネットに求めたもの、得たもの、すなわち「インターネット的」なものは、今やその外、エクスターネットでしか手に入れられなくなったように感じています。だから、かつて「インターネット的」と定義されたあらゆるものは、もはや「エクスターネット的」ど同義だと思うのです。・・・どうやってそこ(インターネット)から抜け出すかと考えたら、答えはとてもシンプル。「外に飛び出す」しかないのです。それが「エクスターネット」という言葉を通じて、ぼくが伝えたい概念です。

知っている世界の外に行こう

これからの時代、(今までまったく接点のない世界)そういった、あなたの外の世界に残るつながりを見つけたのなら、一つひとつ、大事にしてほしい。・・・もしあなたが自分の世界を拡張したいと思ったなら、意識的にインターネットの進む先に逆らう動きをしなければ、それは実現できない。

そして属人的であり、再現性のない人間くさい世界には、やっぱり自分の足を使わなければ入り込んでいけない、というのがぼくの信条でもあります。(225ページ)

さようならインターネット

インターネットが生活に入り込み始めて20年たつ。家入氏は、この間、IT企業を立ち上げIPOさせ、すべての財産を失い、都知事選へ立候補し、再びIT企業を起業するに至る。家入氏はかつて自分を救ってくれたインターネットは日常との境界線が消え、埋没しつつある、と考える。本来インターネットが新しい出会いを提供してくれる場だったのに、殻の様に身体を封じ込みかねないという。そこからは意図的に飛び出さないと出られないよ、インターネットの外に飛び出すことが20年前のインターネット的な行動だよ、と言う。

私自身はインターネットに触れて人生が救われた、という経験はしてこなかった。それは新しい世界に踏み込んでこなかった結果かもしれない。家入氏は誰も歩んでいない世界を歩み、そこで小さな世界を大きく広げていった。本書から、未だ誰もいない世界、知らない世界に少しづつ踏み出す勇気を貰う。

蛇足

エクスターネットとはあなたの知らない世界

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