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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

宮型霊柩車はどうしてあの様な意匠なのか?~『新版 霊柩車の誕生』井上章一氏(1987)

新版 霊柩車の誕生 (朝日選書)

井上氏は文筆業、本書が1987年の処女作、霊柩車はいつ誕生したのか?

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大正4年(1915年)霊柩車の登場

大正期にはいり、葬列が衰弱していく。葬儀屋は、なんとかこの傾向を押しとどめようとするが、時勢はいかんともしがたい状態にあった。・・・どうせ葬列が保持できないのなら、これはいさぎよくあきらめる。そして、思い切って、自動車で葬列をやってしまう。・・・霊柩自動車は、葬送の簡素化が極端に押し進められたときに出現するものであった。行列を組んで歩くことをやめ、遺体を自動車で運搬してしまう。以上のような合理精神を具体化したものであった。(133ページ)

宮型霊柩車のデザイン

「生きているときは貧乏で苦労しても、せめて死んだ時ぐらいは、親や自分も人並みの宮型霊柩車に乗せてほしい」(46ページ)

大衆が霊柩車を造形する。そのさい、大衆自身が芸術的な創造性を発揮するわけではないから、どうしてもどこからか公認されたデザインを借りてくることになる。自分のオリジナルをもたない大衆が引用のパッチワークをおこない、諸様式の混合物を作ってしますう。さらにそのパッチワークを、荘厳に輝かせるだけの財力がともなわないために、どこかちゃちくさいものになってしまうのである。(49ページ)

大衆社会の成立と霊柩車

明治期の貧民たちが葬送に使っていた(人の引く)棺車の意匠は、貧民風にかたむきだした大正期以降の都市民に浸透していったのである。・・・大衆社会論によれば、産業化と都市化の進行は、従来の身分や階級を解体させ、それに代わる新しい社会層を出現させる。・・・霊柩車が運転されだしたのは大正中期であり、時期的にも大衆社会論の指摘と一致する。

死のポルノグラフィー化

かつてはセックスについて明けすけと語ることがはばかれていた。現代では、死についての大っぴらな会話が遠慮すべきものとされる。つまりタブーは性から死にとって代わられた。(184ページ)

霊柩車の誕生

霊柩車が誕生して100年たった。最近は宮型霊柩車は減っているという。死を連想させる霊柩車は近隣住民からの苦情があることによるという。井上氏の言う死のポルノグラフィー化はますます進んでいる。

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最近見なくなった宮型霊柩車

お葬式から宮型霊柩車と花輪が消えた本当の理由-葬儀の疑問 - 葬儀屋バカ一代

本書あとがきに「霊柩車というテーマにとり組みだして、もう四年くらいたつ」(188ページ)と記す。筆者略歴には建築史・意匠論、とある。自分の研究テーマと大衆文化たる霊柩車を重ね合わせ、4年の月日をかけて本書が誕生している。その後井上氏は文筆業に専念するが、本書は著者の執筆姿勢のスタートラインとしても読める。何にでも関心を持つこと、ここから世界が広がっていく。

蛇足

大衆寄せ集め文化をキッチュ、という

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