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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人間は思考を実現できるようにつくられている~『身ぶりと言葉 』アンドレ・グーラン(原書1964、文庫2012)

身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫)

アンドレ・グーラン(1911-1986)は社会文化人類学の研究家、二足歩行によって頭蓋と手足を発達させた人類が、いかにして「知性」を育み、記憶を外部のアーカイブに託していったのか。(原書は1964、文庫は2012)

  

我々は機能を外部に移転させ続けている

運動をつかさどる大脳皮質領の解放は、直立位とともに決定的なものとなり、人間が運動をつかさどる脳を外化する時点から完成される。知的な思惟を外化することより上の段階、すなわち判断するだけでなく(この段階はすでに獲得された)、その判断を感情で色づけ、判断し、熱中し、厖大な任務を前にして絶望に沈むというような機械をつくることは、ほとんど想像できない。・・・いささか心配しなければならないのは、千年後にホモ・サピエンスが外化を終えてしまって、旧石器時代から受け継いだ時代遅れのこの骨・筋肉装置をどうしていいかわからない、ということだけである。(395ページ)

個人の肉体に役割は残っているのか?

十全に進歩を利用しているのは社会だけだ、ということにならないかどうか、自問してみることもできよう。個人としての人間は、すでに時代遅れの有機体であって、小脳や臭脳、手足のように役には立つが、人類の下部構造として背景に退き、”進化”は人間よりも人類に興味をもっているのではなかろうか。(401ページ)

今まで人間は終わることのない冒険を生きてきたが、

個人的創造の手段が減少し、冒険の必要がしだいに少なくなるために、現実生活から遠ざかるか埋め合わせの仕掛けが多くなり、・・・衣食の足りた国々では、人間の均衡の問題が会えず問い直される。(627ページ)

社会は百億の宇宙飛行士を必要とせず、ふつうのホモ・サピエンスにとって、それは生まれたか生まれないかにすでに、神話的な埋め合わせとなった。(628ページ)

ホモ・”サピエンスという自覚

ある自覚をもって”(ホモ)サピエンス”(=賢い人)であり続けようという意思において決定される未来をもった人間を想像することができる。(630ページ)

身ぶりと言葉

身ぶりとは手の延長線上の道具、そして技術を象徴し、言葉は記憶も含めた言語活動を意味する。我々は二足歩行を始めて脳の肥大化により技術と言葉を駆使し、様々な活動を外部化していった。本質的に人間に残っているのは”ホモ・サピエンス”という自覚でしかない。

松岡正剛氏の解説で著者の主張を「人間はその思考を実現できるようにつくられている」と要約する。我々は必ずしも使わなくても困らない”個々人の身ぶりと言葉”で考え、行動することが出来る。

本書に表紙はラスコーの壁画、人類が3万年前壁画に絵画を描いた時から人はまったく変わらない。原書の出版は1965、50年前からも人はまったく変わらない。

蛇足

ホモ・サピエンス(賢い人)として行動していますか?

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