毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ビタミンの概念を受け入れるには、それまでの非常識を受け入れることだった。~『世界史を変えた薬』佐藤健太郎氏(2015)

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

佐藤氏はサイエンスライター、「あの薬」がなかったら、世界の運命は変わっていた!(2015) 

 

 壊血病

 

壊血病はこの時代(15世紀に始まる大航海時代)になって急に発生した病気ではなく、新石器時代の遺跡からもそれらしき人骨が発見されている。9世紀のバイキングや、13世紀の十字軍にも、壊血病と見られる記録が残っているという。だだしこの病気が大きくクローズアップされるのは、大航海時代に入って、船の後続距離が大幅に伸びてからのことだ。(27ページ)

ビタミンCはタンパク質合成に不可欠

現代では、この病気の原因はビタミンCの不足であることがはっきりしている。・・・重要なビタミンC源となる新鮮な野菜や果物などは、腐りやすいために船に積まれることはなく、これが船乗りたちに大きな悲劇をもたらした。壊血病の症状は、重要なタンパク質の1種である、コラーゲンが正常に作られなくなるために起こる。コラーゲンは細胞と細胞を貼り合わせる他、骨や腱の主要成分であり、我々の肉体はこれなしに形を保てない。このためコラーゲンは、全身のタンパク質の約1/3を占める一大勢力なのだ。(28ページ)

実は壊血病の対策はあった

1601年にイギリスを出港した東インド会社の艦隊は、旗艦にレモン果汁を積み込んでおり、壊血病の症状を発した者は、さじ3杯これを飲むように指示が下されていた。・・・なぜ、これほど簡単で有効な対策が広まらなかったのだろうか?一つには、古代ギリシャヒポクラテスやガレノスが唱えた「体液学説」の影響があったと見られる。この説では、有害なものの摂取によって病気が起こることはあっても、必要なものの不足で体調を崩す可能性は考えられていなかった。(30ページ)

ビタミンCの合成

20世紀初頭、人間は、糖類やタンパク質などの主要な栄養素だけでは生きられず、ある種の微量化合物がなければ生命を保てないことが発見された。この微量化合物、すなわちビタミンを探し出すことが、20世紀前半の生化学のメインテーマであった。・・・1933年にはイギリスのハースがビタミンCの構造を解明し、・・・「壊血病に抗する」という意味の「アスコルビン酸」と改める。彼は安価なブドウ糖からビタミンCを合成することにも成功した。(37ページ)

世界史を変えた薬

18世紀中盤になって、壊血病の対策が認知された。従って柑橘類が壊血病に有効であるという可能性が認識されて処方される様になるまで150年間かかったことになる。ヴァスコ・ダ・ガマの航海では160名の船員のうち100名が壊血病で亡くなっていた。壊血病は大問題であったにも関わらず柑橘類を補給することは150年間横断的には行われなかった。

本書によれば微量化合物が無ければ生命を保てないという発想が古代ギリシャ以来の伝統的思考と相容れなかったことを指摘する。

このことは、我々は常識というフレームワークに固定され、真実を目にしながらもそれを認識できないことを教えてくれる。ビタミンCが特定され、ビタミンという概念を認識したのはつい80年前のことである。

蛇足

Vitaminの由来、生命「vital」+アミン「amine」(窒素を含む有機化合物)

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 コロンブスの時、航海は壊血病との戦いでもあった