毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ディズニーランドをめぐる、30年という時間軸~『海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語』加賀見俊夫氏(2003)

海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語 (ディズニーストーリーブック)

 加賀見氏はオリエンタルランド会長、海を超える想像力とは何だったのか?

(2003年)

 

ディズニーランド構想はいつまで遡れるのか?

1958年の1月に、京成バラ園で販売するバラを買い付けにでかけたアメリカで、川崎はその3年前(の1955年)に開園したばかりのディズニーランドに出会った。京成電鉄は、谷津通園を経営していたし、そのほか東京には戦前からいつくかの遊園地があった。根津に育った川崎も、東京っ子としてそれらに親しんでいたと思う。だが、初めて見たディズニーランドのスケールは、川崎を打ちのめした。夢のようなディズニーの世界が、信じられないような規模で展開されている!戦争と敗戦後の苦しみを肌で体験した川崎にとって、まさに驚愕と感激だっただろう。

「こんな世界を、日本の子どもたちにも見せてやりたい」と思った川崎は、その後情熱を傾けることになる。(29ページ)

1974年ディズニーランドと基本合意に契約

川崎千春がディズニーランドを日本に誘致しようと、交渉に乗り出したのは1960年代前半のことだった。・・・ディズニー社の姿勢が変化を見せはじたのは、1970年代以降である。ディズニー社はそれまで世界中から誘致のアプローチがあったものの、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド建設(1971年開園)に力を集中させていた。そのプロジェクトが進み、ほっと一息ついたところにオリエンタルランドの話が持ち込まれた。・・・1974年12月ディズニー社のドン・テイタム会長、カードン・ウォーカー社長らが来日し、候補地を視察することになった。(47ページ)

1983年東京ディズニーランドがオープン

ウォルト・ディズニーは、遊園地で楽しいのは子どもだけで大人にはベンチ位しか居場所がなかった実体験から、大人と子どもの両方が楽しめる遊園地を計画したことに端を発する。当初計画は1920年代、その後第2次世界大戦をはさみ、1955年オープンしていた。

誘致を初めて完成するまで少なく見ても20年、当時の川崎千春京成電鉄社長初めてディズニーランドを知ってからほぼ30年後の1983年オープンすることになる。東京ディズニーランドの大きな構想には完成まで30年必要だった。

米国のディズニーランドと東京ディズニーランドの時間差は30年、私には思ったより短いと感じる。それは大人と子供の両方が楽しめる遊園地というコンセプトには国境はないからであろう。

開園から33年を経過、現在のオリエンタルランドは売上4, 600億円、利益率15%、時価総額約3兆円の会社となった。

ディズニーが構想してから完成まで、日米の時差、構想から着工まで、そして開園から今までそれぞれ30年かかっている。

蛇足

30年間を長いとみるか、短い、と見るか。

 

 

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