毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

かつてカトリック教会は聖俗両方の権威者だった~『カトリック教会と奴隷貿易―現代資本主義の興隆に関連して』西山俊彦氏(2005)

カトリック教会と奴隷貿易―現代資本主義の興隆に関連して

西山氏はカトリック司祭叙階、現代資本主義のスタートラインとなった大航海時代に、カトリック教会は決定的な役割を果たしていた。(2005)

1493年教皇アレキサンデル6世の「贈与大勅書」

「全能なる神よりペトロに授与された権威と、地上において行使するイエス・キリストの代理人としての権威にもとづき、他のいかなるキリスト教を奉ずる国王もしくは君主によっても現実に所有されていないすべての島々と大陸、および、その一切の支配権を、汝ら、および汝らの相続人である(スペインの)カスティリアならびにレオンの国王に永久に…贈与し、授与し、賦与するとともに、汝らと汝らの相続人を…完全無欠の領主に叙し、任命し、認証する」と広範な権限を授与しています。なぜローマ教皇が(地球を西回りする)ポルトガルに“新発見”の(アメリカ大陸)の領土・領海を授与できたのは、そして今また(地球を東回りするスペイン)カスティリアとレオンの両国とその相続人にも授与できるのか、は理解し難いところです。しかし、教皇が聖俗両機能を有するとは、教皇自身が「贈与大勅書」の文面に明確に自認しており、また、当時の超大国もそれを認めただけでなく、他者にも強要して怪しみませんでした。 どうして教皇は聖俗両機能を持てるのか? 「異教徒がキリストを知るに至った時、彼らがそれまで確立していた権力も支配権も、すべて、キリストに返還され、キリストが霊的にも俗的にも地上における支配者となる。キリストはその至上の支配権を、まず聖ぺトロに、ついで、その後継者であるローマ教皇に委ねた」(64ページ)

1992年ヨハネパウロ2世はアフリカで謝罪

「奴隷とされた人々は、洗礼の恵みを受けていながらそれに生きなかった人々が携わった唾棄しべき貿易の犠牲となったのです。」(237ページ)

「新世界の発見、制服、キリスト教化は、暗影もなくはなかったとはいえ、全体としてみれば輝かしい位置を占めている。」(243ページ)

カトリック教会と奴隷貿易~冒頭、武者小路公秀氏の解説より

奴隷貿易を始めたときの西欧は、今日の世俗化に先立つ時期のキリスト教世界でした。その世界において、その宗教的・倫理的な指導を受け持っていたのは、とりもなおさず、ローマ・カトリック教会でした。その意味で、「カトリック教会と奴隷貿易」の問題は、ローマ教皇の司牧責任の問題です。・・・奴隷貿易についても、植民地化についても、西欧では悪い人たちがやったことで、自分たちが知らない、という無責任な意識が支配しています。・・・ローマ・カトリック教会は、そんなヨーロッパとの文明史的なつながりのために、今でも、奴隷貿易につちえの責任を認めたがらないのではないかと思います。(7ページ)

キリスト教大航海時代、そして奴隷貿易

 

日本人にとってどうしてローマ・カトリック教皇がスペインとポルトガルに地球を割譲する権限を与えることができるのか、なかなか理解できない。本書によりその論理が理解できる。植民地と一体となった奴隷貿易が資本の蓄積を可能とし、資本主義を成立させた。その時代、キリスト教は聖俗にまたがる権威者であり、非キリスト教徒に対して一切に所有権を持っていたのである。1980年モーリタニアが奴隷制度を廃止した。法的に奴隷制度が解消してわずか35年しか経っていない。

蛇足

 

日本は西洋文化圏に位置する非キリスト教

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