毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

数学は神と論争するための手段であった!~『数学嫌いな人のための数学―数学原論』小室直樹(2001)

数学嫌いな人のための数学―数学原論

小室直樹は経済学、社会学の研究家、数学が登場した歴史的背景は何だったか?(2001)

 

数学は論理学から始まった

代数学ギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。

古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人が人類に残した「存在問題に発展して、完璧な論理学に育っていたのであった。(2ページ)

神は存在するのか、しないのか?

その(イスラエルの)卓越した宗教とは、唯一絶対的人格神のみを神とする宗教である。この宗教において、イスラエル人が、はじめに問題にしたのが、神の存在問題であった。…神は、自然の力に対する完全な支配力を持つ。歴史を支配する唯一独立の絶対的な主である。しかも、この神は生きている!

こんな特異な神が、本当に存在するのであろうか。真剣に神に思いをいたせばいたすほど、古代イスラエル人の念頭に神の存在問題がわき起こってきたに違いない。

ロゴス(論理)とは論争のための方法

「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、…などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは論争のための方法のこと、を指す。…古代イスラエルに発する宗教は、神との論争を軸にして展開していくのである。(6ページ)

一神教絶対神ヤハウェとの論争

神の代理人たる預言者の重大な任務の一つは、この神の怒りから人間を擁護し、人間が神によって守られるようにすることである。ヤハウェ神は、もともと、人間の契約違反を許さず容赦なく皆殺しにする神である。ノアの洪水を見よ、ソドムとゴモラを見よ。神に、そうはさせないことが、預言者の任務の一つであるから、論争の技術として弁護術が発達した。(105ページ)

我々にとって神は存在するのか、しないのか?

 

我々にとって神は八百万の神である。あるいは仏教思想では、仏は存在するか、しないか?という論理を超越した「空」の思想である。

つまりは「神は存在するのか、しないのか?」に真正面から回答しない。我々は、「様々な神がいてもいい。仏は有でもなければむでもなく、同時に有でも無でもあり得る。」と受け入れている。我々は、神は存在するのか、しないのか、ということを問う必要が無かったのである。

一神教絶対神の信者、ましてや、人を皆殺しにしかねないヤハウェの神の信者にとって「神が存在するのか、しないのか?」「神に対し契約違反をしたのか、しないのか?」という議論は真剣ならざるを得ない。神の絶対性が論理学を、そして数学を生んだ。

蛇足

 

数学は神と論争するための道具である

こちらもどうぞ

 

 

ocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com