毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ソメイヨシノは日本人が自己創出によって作り出していた~『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 』佐藤俊樹氏(2005)

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

 

 佐藤氏は社会学の研究家、一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。(2005)

ソメイヨシノの起源

 現時点ではソメイヨシノの起源については、①発生地は江戸東京とりわけ上野から染井、巣鴨にかけての地域で、②自然交配によるもので、③時期は積極的な決め手はないが、江戸時代の終わりから明治の初め、西暦でいえば1800~1857年ごくらい、だと考えられる。(228ページ)

生物学的に見ると

ソメイヨシノは生物学的にはエドヒガンとオオシマの交配種だが、桜のイメージ上では、むしろヤマザクラの「進化」したものにあたる。…桜を観賞用に愛しむという日本人の習性にあわせて、桜が進化してきた結果なのである。(197ページ)

染井の桜

ソメイヨシノ染井吉野)」は二つの地名からできている。「染井」は今の東京都豊島区駒込。ここはかつて染井村とよばれ、江戸中期から明治半ばごろまでは園芸業の一大拠点であった(35ページ)

吉野の桜

吉野の桜には平安時代から若に詠われた伝統があるだけでなく、吉野自体、法制上は大日本帝国憲法までつづく律令国家を立ち上げた天武朝の聖地であり、また天皇親政をめざした後醍醐天皇ゆかりの地でもある。(92ページ)

古来の桜はヤマザクラなのか?

(古来桜の)始源の語りにおける「ヤマザクラ」の姿は、よく見ると、ソメイヨシノそっくりなのだ。すでにのべたように、ソメイヨシノは日本列島や大日本帝国に同じ春を作り出した、つまり「日本」を一つの桜で覆っていった。それが「日本を一つの桜で代表させる」ことにリアリティを与えた。

「日本を広く同じように覆う桜」「すべて一重で咲く桜」「中心から周辺へ伝播していった桜」、という、始源の桜の語りがヤマザクラに見た特性は、ソメイヨシノで実現されたものであり、ソメイヨシノの前にはなかったことなのだ。(151ページ)

我々が桜を自己組織化していった

 

日本の桜の80%がソメイヨシノだと言われる。接木で増え、10年で花が咲き、50~70年が寿命で育て易く枯れにくい。これらの理由で普及したヨメイヨシノだが、その誕生は実は1890年とごく最近のことである。

それでは中世から多くの歌に詠まれてきた花とは何か?一般的には花の原点はヤマザクラと理解されている。著者はそこに現在のソメイヨシノと原点のヤマザクラの逆転を見出す。まず現在のソメイヨシノがある。

「日本を広く同じように覆う桜」「すべて一重で咲く桜」「中心から周辺へ伝播していった桜」という現在の桜の特性を見事に体現している。この特性はソメイヨシノによって実現された桜ではあるが、その同じ視線で桜を眺めると、ヤマザクラが一番適切に見えてくるという。

つまりは現在の目線で古来の花を見るとヤマザクラが一番ふさわしく見える、ということである。

西行の短歌「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」は吉野の花を詠んだと言われる。その時の桜は(ソメイヨシノであるはずはなく)ヤマザクラと解釈されるが、西行が詠んだのは特定の桜ではなく花の理想像ではなかったのか、と言う。

日本人の花の理想としてソメイヨシノが生み出され普及し、ソメイヨシノの始源としてヤマザクラを見出した。

我々は短歌に詠み込まれた花、に近い花を探してきた。そうやって生まれたのがソメイヨシノだった。

そして現在、初音ミクの「千本桜」、イメージを作っている。

蛇足

我々は理想を語り、自己創出している

 

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