毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

折り紙つき、の由来を知っていますか?~『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』桜井 英治氏(2011)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

 桜井氏は日本中世史の研究家、中世日本、得に15世紀の100年間の贈与慣行は世界的にも類を見ない極端に功利的な性質を帯びる。損得の釣り合いを重視し、一年中贈り物が飛び交う中世人の精神を探り、義理や虚礼、賄賂といった負のイメージを纏い続ける贈与の源泉を繙く。(2011)

 

中世は市場経済が成立していた

中世は自給自足の時代などではなく、多くの物質が商品として流通し、それらの価格も需要と供給とのバランスによって決定されていた。その意味ではれっきとした市場経済が成立していたとみてよい。京都には土倉とよばれる多数の金融業者が店舗を構え、貸出だけでなく、大口小口の預金者から資金を集め、営利利益に応じて利息を支払うという、銀行さながらの業務もおこなっていた。また、権利というものが―物権であれ、債権であれ―中世ほど容易に移転しえた時代も少ないだろう。…このように、一方に濃密な人間関係によって規定された場が存在した半面、疎遠な人間どうしがただ商品や貨幣のみを介して取り結ぶような、近代資本主義社会さながらの経済的、物的な関係も広く存在していたのが中世という時代であった。(はじめにⅲ)

年貢の代銭納制

13世紀後半、中世日本の経済構造に大きな変化をもたらすひとつの出来事がおこった。それまで米で納められていた年貢が、このころをさかいにして銭で納める形態に変化したのである。…私はこの出来事は中世日本の経済にとって最大の事件であったといっても過言ではないと思っている。…代銭納制がはじまると、生産物を現地でいったん売却・換金し、それによって得た銭を年貢として中央に送るようになる。…このをそれらはそれぞれの土地で売却され、銭に替えられた時点で商品に変化する。…代銭納制普及後の日本列島では本格的な市場経済が展開したと考えられるのである。(110ページ)

私は年貢の代銭納制が普及した13世紀後半以降の日本列島は確実に市場経済に入っており、それは石高制のもとで米納年貢制が復活する16世紀後半まで約300年間にわたって存続したと考えている。(113ページ)

宋の銅銭

日本の中世国家は、朝廷にせよ、幕府にせよ、貨幣をみずから鋳造することなく、周知のように、その供給をほとんど中国の銅銭に依存していた。それをささえてのが、中国歴代王朝のなかでもとくに大量の銅銭を鋳造したことで知られる北宋の貨幣政策だった。(その後、元が銅銭の使用を禁止すると)中国国内で使い道を失った銅銭が海外に流出し、それが日本においては年貢の代銭納制を一気に普及させる結果をもたらした・・・。(114ページ)

贈与の歴史学

 

市場経済の広がりは贈与にも大きな影響を与えた。送った人の記憶が付く物の贈与から、物の移動を伴わない贈与に移行していったという。金銭の贈与や、折り紙という目録のやり取りで行われた。最終的には折り紙が有価証券のような役割まで果たしていたという。贈与というものが売買、代物弁済あるいは納税、といった商取引と極めて近かったことになる。

著者は「過去が現在よりも常に素朴だと思うのは、過去にたいする見くびりであり、現代人の傲慢である。」(はじめにⅳ)という。中世はすでに市場経済だった、我々の贈与の習慣は中世からの歴史を引き継いでいた。

蛇足

 

折り紙つき、の折紙とは元々贈与目録、そこから転じて由来や品質の保証書の意味を持った。

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