500年の歴史を持った若い国、ロシア~『ロシアについて―北方の原形 』司馬遼太郎(1986)
巨大な隣国・ロシアを、いかに理解するか。歴史をつぶさに検証してロシアの本質に迫り、両国の未来を模索した評論集。(1986)
若い歴史を持ったロシア
私どもは、人類の文明史からみて、ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史を持っていることを重視せねばならないと思います。ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか15,6世紀にすぎないのです。若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野生を持っているといえます。世界史を 見渡して、広域社会―国家―の成立が古すぎる―たとえばフランスのような―国は、いい意味でもわるい意味でも、蛮性を稀薄にしているといえます。(12ページ)
ロシアの場合、それ以前の時代(15世紀以前)、ロシア平原で農耕を営むということは、じつは危険なことでした。なぜなら、草原が多く、当方からやってくる野蛮なアジア系の遊牧民にとって絶好の通過点だったからです。・・・ロシア人は、国家を遅く持ちました。ロシアにおいて、国家という広域社会を建設させることが、人類の他の文明圏よりはるかに遅れたという理由の一つは、…強悍なアジア系遊牧民族が、東からつぎつぎにロシア平原にやってきては、わずかな農業社会の文化があるとそれを荒らしつづけた、ということがあります。(15ページ)
ロシアはいつ始まったか?
9世紀になってやっとウクライナのキエフの地に、ロシア人の国家(キエフ国家)ができたというkとおは、ごく小さな規模とはいえ、ロシア史を見る上で、重要なことだと思います。…9世紀に建てられるキエフ国家の場合も、ロシア人が自前で作ったのではなく、他から国家をつくる能力のある者たちがやってきたのです。(17ページ)
タタールのくびき
モンゴル軍ははるかに西ヨーロッパにまで侵寇するのですが、やがてその内部事情により軍勢を後方にひきあげ、ロシア平原に居座って、いわゆるキプチャク汗国(1243-1502)をたてるのです。それまでのロシア平原は、つねに東から西へ通過してゆく遊牧民族にあらされつづけたのですが、この13世紀において彼らにはじめて居座られてしまい、帝国をつくられるはめになったのです。(22ページ)
現在に続くロシア国家の成立
ロシア公国のなかでモスクワ公国の勢力が伸びつつあり、1533年、有名なイヴァン四世(雷帝)が即位し、強烈な独裁的指導を発揮するにおよんで、のちのロシア国家の基礎ができあがるのである。(49ページ)
ロシアという隣国
司馬遼太郎は小説を書くためにロシアという国を考え続けたという。本書が執筆されたのは1986年、未だソ連の時代である。ソ連を16世紀以降に成立したロシア、シベリアを含む、ヨーロッパとアジアにまたがる国、の延長線上に見ていた。ソ連が崩壊し、ロシアに戻った今本書の位置づけは一層鮮明になった。
ロシアという概念はわずか500-600年しかない。ロシアはまだまだ変化し続ける若い国なのである。我々はこの隣国とわずか200年の外交期間しかもっていない。
蛇足
ロシアがモンゴルに勝ったのは鉄砲
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