毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

中国は”西洋文化圏”から新しいパラダイムを求めている?~『習近平の中国』宮本 雄二氏(2015)

習近平の中国 (新潮新書)

宮本氏は2006‐2010の駐中国大使、 猛烈な反腐敗闘争、戦後秩序を揺さぶる外交攻勢、急減速する経済の立て直し―。二〇一二年の総書記就任以来、習近平は猛烈なスピードで改革を進めている。(2015)

中国社会と日本社会

明治以来、日本は西洋のようになろうと思って努力してきた。アジア的なものは古いもの、遅れたものとして放棄された。新しいもの、進んだものとして西洋文明を受け入れ、必死になって西洋に追いつこうとした。福沢諭吉の「脱亜入欧」という言葉が、そのことを見事に示している。

ところが中国は、それとはまったく異なる道を歩もうとしている。確かに中国の追及する「社会主義」は、マルクス主義を出発点としており西洋文明の内にある。しかし中国共産党は、「〝中国の特色ある“社会主義」を追求することにした。つまり物まねではなく、中国独自のものを追求しているのだ。(168ページ)

中国共産党は「みんなの党」へ

01年の共産党成立80周年の記念日に全面的に打ち出され、…(共産党を)一言で出いえば「新しい状況下で、共産党は中国の最も先進的な生産力および文化を代表し、最大多数の人民の利益を代表しなければならない」というものだ。要は共産主義に固有の労働者や資本家といった「階級」に着目するのではなく、中国の発展に貢献できる「最も進んだ力」を持つかどうかに着目して、党のあり方、党員の顔ぶれを考えようとしたのだ。…企業のトップにも共産党員になる道を開き、文化人も党員になりやすくしたことにある。なぜなら彼らは共産党が代表すべき「最も進んだ生産力」あるいは「最も進んだ文化」の重要な担い手だからだ。・・・その結果資本家であれ、誰であれ、基本的に社会の全ての構成員が党員になれるようになった。共産党が「みんなの党」になったのだ。

易姓革命におびえる共産党

共産党は、中国のおいて他と比べようもない強大な組織だ。それなのに、彼らはいるも“統治の正当性”の影におびえている。・・・中国は「易姓革命」を信じてきた社会だ。この考えは中国古代に成立した。「天」という絶対な存在があり、「天子」(皇帝)は「天命」を受けて天下を治める・だが、もし(姓をもつ)皇帝に不徳の者が出て、民の支持を失えば「天命」は革まる。そこで他の姓をもつ有徳者が天命を受けて新しい王朝を開くという考えだ。姓が易わり、天命が革まったのだ。(134ページ)

中国を理解するには

中国という国を理解することは実に難しい。その最大の理由は、とてつもなく多様で巨大な国が、猛烈なスピードで変化し続けているという、その事実そのものにある。人類はこれまでこのようなことを経験したことはない。中国が今歩いている道は、誰も歩いたことのない道なのだ。(3ページ)

日本は変化しているか?

 

2001年著者は、中国共産党支配が5年と持たないと予想した。「判断ミス」だったと言う。それは①中国の規模と多様性に対する理解不足、②共産党の統治能力を過少評価、の二つが原因だったと分析する。

中国の統治の仕組みは西洋文化圏から生まれたマルクス主義かスタートした。第二次世界大戦後、西洋文化圏に一旦は属したと言ったら言い過ぎであろうか?理論から階級闘争を外し「中国みんなの党」になるも、一党独裁という制約の下で、新たな枠組みは完成していない。一方資本主義も同様に、限界にぶち当たっている。西洋社会も中国も、新しいパラダムを探し求めている局面なのだ。

中国、あるいは中国共産党は、日本以上に猛烈なスピードで変わり続けてきたし、変わり続けているという。我々は変化しているか?変化しなくても済む、幸せな境遇なのであろうか?

単純な中国崩壊論に意味が無いことを気づかされる。

蛇足

 

中国は変化し続けられるか?

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