毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして1602年東インド会社が世界初の株式会社だと言われるのか?~『オランダ東インド会社』永積 昭(2000)

オランダ東インド会社 (講談社学術文庫)

永積明(1929-1987)は東南アジア17世紀前半、オランダは葡・西・英と東インド香料貿易の覇を競い、これを制した。その核となったのがオランダ東インド会社である。単行は1971年、文庫は2000年)

 
 
会社設立の背景

 (オランダの)毛織物工業は新大陸への輸出産業として最も重要なものであった。・・・新大陸の豊富な銀はスペインを素通りしてオランダに流入するようになった。そして銀こそは、香料などを目的とする東インド貿易にとって不可欠の商品であったから、オランダの商人達がヨーロッパ各地間の航海貿易の経験を活かして東インド貿易に乗り出そうとしたのは、極めて自然であった。(60ページ)

1602年3月東インド会社設立

 

この会社はオランダ語での頭文字を取って、V・O・Cと略称で呼ばれることが多く、その三文字を組み合わせてoVcというマークを用いることになった。(66ページ)

株式会社の仕組み

 

オランダ東インド会社の特許状は全部で46条、刊本で20ページにおよぶ長文のもので、これは以後ヨーロッパ大陸における株式会社の特許状のモデルになった。(会計の専門家である)大塚氏はこの特許状の新しい点として、

  1. 取締役および株主が無限責任から有限責任に移行したこと。
  2. 出資者は間接にではなく、直接に会社に出資することとなり、取締役だの個人的性格が会社企業の中に吸収されたこと。
  3. 持分としての株式の譲渡が自由にあったこと。

等を上げ、(以下略、68ページ)

特許状の目的

 

特許状の条文に従い、東インドにおける条約の締結、自衛戦争の遂行、要塞の構築、貨幣の鋳造などの権限を与えられていた。そしてその権限を行使出来る地域は、「喜望峰の東、マジェラン海峡の西」という広大なものであった。したがってオランダ東インド会社は、オランダ本国では特許会社にすぎないが、ひとたび喜望峰を廻れば国家にひとしい権力を持つことになる。(68ページ)

どうして世界最初の株式会社と呼ばれるのか?

 

オランダ東インド会社設立以前と以後と何が変わったのか?一つは会社が存在として登場した。もう一つ株式の譲渡が認められたことにあるといわれている。逆に言えばそれ以前は当座会社と呼ばれ、例えば東インド貿易の一航海毎に会社が作られ、航海が終了するたびに精算された。(当座会社という)株式会社は永遠の存在となった。それでは投資家はどうやって資金を回収すればいいのか?投資家はいつでも投資資本=株式の売却を自由に認められこととなった。これが株式会社の原点だった。1602年、オランダ東インド会社成立と同じ年、アムステルダムに世界初の証券取引所が設立することとなった。それは1603年江戸幕府が成立した頃の話である。

蛇足

 

株式会社とは長期の投資と短期の資金回収を両立させた。

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