毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

万国博覧会はいつ始まったのか?~『万国博覧会の二十世紀』海野 弘氏(2013)

万国博覧会の二十世紀 (平凡社新書)

海野氏は評論家、世界中のさまざまな物と人が一堂に会する万国博覧会。万博とは何だったのか?(2013)

 

 

万国博とは~1851年ロンドン博

 

 

万国博の歴史は1851年のロンドン博にはじまるとされている。18世紀後半から、かなり大規模な博覧会は開かれていたが、国内に限られていた。諸外国を招いて、大規模に開かれ、しかも大成功したのはロンドン博が初めてであった。(8ページ)

 

 

オリンピックがオリンピック委員会によって管理されているように、万国博もBIE(ビューロ・アンテルナシオナル・デゼクスポジシオン)がある。これは1928年につくられ、国際博覧会条約が結ばれている。・・・第1種が正式の万国博覧会で、ヨーロッパ、南北アメリカ、その他の3地域に世界を分け、同一地域で6年に一回以上は開けない。また同一国では15年に一回以上は開けない、などの規則がある。(10ページ)

 

19世紀の万博

 

 

博覧会には世界中の人々を招いて、それを見せたいという発想が生まれた。世界の人々を集め、工業技術を競い、そこでイギリスの優秀さを見せつけたいと思ったのである。フランスが国内的であったのに、イギリスは国際市場を意識し、それを支配する帝国主義を目指したのである。1851年にロンドン博が開かれ、華々しく万博の歴史が開幕した。(12ページ)

 

20世紀の万博

 

 

20世紀の万博は、19世紀の延長ではあるが、それだけでなく、独自の特徴と意味を持ってくる。20世紀になって、万博は本格的な〈万博〉になった、ともいえるのだ。20世紀に入って、万博の入場者数が一桁違ってくる。万博は選挙権と同じように一般の人々に開かれる。・・・19世紀の万博と20世紀の万博の違いのひとつは19世紀が科学技術の発明発見に素朴なおどろきを感じ、その展示を中心としているのに対し、20世紀は科学技術だけでなく、文化芸術といった要素にも関心を向けている。娯楽的な要素が加わり、レジャーや観光との結びつきが工夫された。(17ページ)

 

大阪万博1970年

 

 

「人類の進歩と調和」というテーマを大阪博は掲げた。そこには、人間の進歩とか進歩への危機意識が欠けている。・・・大阪博はマルチメディアによる映像表現を(1967年のモントリオール博から)引き継ぎ、前回させる。・・・よくいえば大阪博は20世紀の万博の一つの集成、悪くいえばごった煮ともいえるだろう。(199ページ)

 

 

博覧会の魅力とはやはり、その会場に行き、実体的にさまざまな物に出会い、出来事を体験すうることにある。大阪万博で最も人気があったのはアポロ11号が持ち返った月の石であった。その映像は世界中で流されたが、人々は実物を見たがったのである。(212ページ)

 

どうして万博にときめかなくなったのか?

 

1970年の大阪万博東京オリンピックと同様大きなインパクトを日本の人々に与えた。その一方でマルチメディア、放送と通信の発達によって映像ならどこでも見られることが明らかになる。

我々が万博といってもいま一つ印象を持てないのはバーチャルな世界では地理的な制約が既に無くなっているからであろう。世界から一つのテーマを掲げ一カ所に集い、パビリオンが競演する、万博は都市機能と密接に結びついてはいるが、もはや万博だけに限定されたものではない。オリンピックがマルチメディア、放送と通信と結びつきグローバルな展開をしている。万博の影響力が弱まっているとすればそれは都市機能が万博的な要素を1年中展開しているからであろう。

蛇足

 

大都市は毎日が万博

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