毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

辞書は徹底して"他者意識"で作られているという"大切なこと"~『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』

辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術 (PHP新書)

飯間氏は辞書編纂者、言い方次第で、人間関係もぐっと変わる! 『三省堂国語辞典』編纂者が探究する、今よりちょっと上の日本語生活とは?(2015)

 

 3つのトピックスを取り上げる。 

あやまるとわびる

 

「あやまる」(謝る)は、日本語としては「謝る」と同じで、自分が間違っていたことえお認めることです。・・・これに対し、「わびる」は、間違いかどうかは直接関係ない場面でも使います。ある夕方、肉屋さんが、その日に揚げたコロッケを売り尽くしてしまいました。やって来たお客さんに対して、「すみません、売り切れです」と頭を下げます。これが「わびた」ということです。この場合、肉屋さんは間違っていたわけではありませんが、相手に気の毒なことをしたと考えて、頭を下げたのです。(27ページ)

 

飯間氏はさらに相手の事情に想像力を及ぼしてコミュニュケーションを取ることを勧める。お肉屋さんの例に例えるなら、「わざわざ足を運んでくれたのに」と付け加えることになる。

 

なぜ本を読むべきなのか?

 

 

「自分を高めるため」「空想の世界に遊ぶため」などなど。でも、「そういうことは、活字を読まなくてもできるのでは」と言われればおしまいです。あえて本を読む理由とは何でしょうか。・・・活字の本には、ほかの媒体では表現できないことが、たくさん書いてあるからです。・・・活字の本と、漫画や映画に優劣はありません。一方、活字でしか表現できない、表現されていない物事が、世の中にはたくさんあります。そっちのほうがずっと多い。その物事を理解するために、ぜひとも本を読むべきなのです。(117ページ)

 

この本を書くということ~あとがき

 

 

私は、ここに収めた(この本一冊の)文章を、何人かと座談しているつもりで書きました。場所は、例えば旅客船のデッキ、職業や立場の異なる人々とたまたま同席し、座談が始まります。話題はいつしか日本語のことに及びます。

 「そのことについて、辞書編纂者の立場から言わせてもらいますとね・・・・」 

私はざっくばらんに語りだします。なるべく専門語を使わず、身近な例を選んで、しかもその発現内容は、仕事上の経験に基づいていなければなりません。(216ページ)

 

辞書は他者意識で作られている 

飯間氏は大学生に本を読む理由を問われた時、そのの答えとしてこの思いに至ったとのことである。活字でしか表現できないことが世の中には沢山ある。それは抽象概念であったり、経験者が語れる話であったり、書籍でしか表現できないことの方が多い。

更に本書は辞書編纂者の立場で書かれていることに気づく。辞書編纂者は誰でもが経験できない。本書はそのまま「書籍でしか表現できない世界」を具体化している。私が本書に引かれるのも、様々なジャンルの本を世みたいと思うのも、これで他者に説明できる。

最後に本書には他者意識という一貫した視線があることに思いが至る。

辞書編纂者の仕事とは意味を知りたくて辞書を引く人に意味を伝えられるよう編纂することである。引用した「わびる」という言葉の説明に、飯間氏の「解りやすく」という辞書編纂者の思いが伝わってくる。

蛇足

 

本とは秘密の暴露だった。

 
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