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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

超現実(シュルレアリスム)と現実の境目は何だったのか?~『シュルレアリスムとはなにか』巌谷 國士 氏(2002)

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)巌谷氏はフランス文学、特にシュルレアリスムの研究家。現実に内在し、ときに露呈する強度の現実としての超現実―シュルレアリスムとは何か?(2002)

表紙はマックス・エルンストナイチンゲールに脅される2人の子ども」    20世紀、シュールレアリズムの巨匠にして、コラージュという手法で絵画に革命を起こした画家の傑作。KIRIN~美の巨人たち~

シュルレアリスム

シュルレアリスムは、芸術の形態、主張の一つ。日本語で超現実主義と訳されている。フランスの詩人・文学者のアンドレ・ブルトンは自動記述による物語集『溶ける魚』(1924)の序でシュルレアリスムという言葉を定義した。(Wikiより)

現実と超現実

 

もともとは謎をはらむ、つかみどころのない時間空間のなかに、現実と称するものを惰性的に見つけ、それで何とか「現実生活」をやりくりしているのが現代人でしょう。

そんな日常の約束事とつきあっているうちに、何かフワッと、見たこともない、未知の驚きを呼び起こす現実があらわれたちいうようなときに、それを「趙現実と呼ぶべきではないか?ある意味では、現実と「趙現実」とはつながっていると考えた方がいいんですね。(22ページ)

1919年という年

 

 

「自動記述」、オートマティックな文章体験というものがあります。この現象にアンドレ・ブルトンがはじめてかかわったのは1919年のことですが、それはどういう年だったかというと、第一次世界大戦が前の年に終わっています。・・・この大戦によって20世紀の物の考え方は一変し、それまでのさまざまな常識は通用しなくなってしまう。(32ページ)

 

自動記述

 

 

ブルトンは「自動記述」をやっていくあいだ、ノートをひろげて、何も予定しないで、ただただ書いていったわけです。それが次第に超スピードになってゆく。そのくりかえしをほとんど毎日のようにやる。・・・「自動記述」を猛烈なスピードでやったあとで外へ出たとき。とつぜん、翼の生えたライオンか何かが目の前にあわわれるとか、奇妙な幻想をともなうようになってきたといいます。(41ページ)

 

文章を書くということ

 

 

通常、文章は過去に起因します。過去に体験したことが文章になるのが普通でしょうし、そう思われれていますね。ところがそうではない事態が起こるんです。実際に「自動記述」をやってみて感じるのは、今考えていること事態が文章になっていくということ。・・・結局、どうも文章を書くという行為が、個人の過去あるいは主観から離れつつあるんじゃないかということを僕は実感したのです。(50ページ)

 

現実と超現実との境目

 

超スピードで自動記述を続けていくと自己や自己の主観・経験から乖離して集団無意識や偶然性が表面化していくという。そこには第一次世界大戦によって理性を疑わざるを得ないヨーロッパの限界を打破しようとしたとも言える。

我々は文章を書くときすべての文章を予定調和的に書いている訳ではない。そこには自動運転と同じ様な集団無意識や偶発性が働いているのであろう。シュルレアリスムは現実そのものが超現実を含んでいる事を明らかにしてくれる。現実と超現実に境目はない。

巌谷氏は「いまや「現実」のほうがものすごい力をふるってわれわれの想像力、創造力を規制してしまっている。」(94ページ)と記す。シュルレアリスム、超現実は「現実」の大きさに圧倒されてしまう個人にそれ以外の世界の存在を気づかせてくれる。

蛇足

 

 

超現実と現実の境目を常識という。

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