毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

アジアの語源を知っていますか?ヨーロッパとアジアと地域間競争という視点から~『資本主義は海洋アジアから』川勝 平太 氏(2012)

資本主義は海洋アジアから (日経ビジネス人文庫)

川勝氏は比較経済史の研究家、 なぜイギリスと日本という辺境の島国が経済大国になれたのか。それは決して偶然ではない。海洋アジアとの競争・脱却という視点で説明できるのだ―。(2012)

 

明治維新の後、日本は欧米と競ったのか?

「日本がイギリスを中心とする欧米近代文明を追いかけた」という通念があって、それはイギリス中心主義と結びついているのであるが、その通念から自由になるためである。なるほど、明治期以後の日本の指導者は欧米の近代文明を目標にした。・・・西洋との関係に目を奪われがちだが、海洋アジアの域内では激烈な「アジア間競争」が生まれていた。そのダイナミズムの中で明治日本が勃興したというのが実態である。(165ページ)

アジア間競争

日本と競争関係に入ったのは、自由貿易体制を強いた欧米のみならず、同じ体制に組み込まれた海洋アジア諸国でもあった。そして日本の物産と競争した相手は、欧米諸国ではなく、アジア諸国であった。(166ページ)

日本の競争

日本の物産が競争関係においても、蚕糸・絹業においても、同じく輸出産業としての茶産業においても、競争相手は近隣のアジア諸国であった。明治期日本の経済発展は、たがいに自由貿易関係に入ることになったアジア地域間同士の競争「アジア間競争」のおいて日本が勝ったことによる。(167ページ)

アジアの語源

「アジア」という言葉は、アッシリア語に源がある。もともとは「日の出」を意味し、反対の「日の入りをさす言葉が「ヨーロッパ」であった。アジアとヨーロッパとは、そのように言葉の生まれた当初から対をなしていた。(169ページ)

アジアとヨーロッパ

紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけての頃、古代メソポタミアアッシリア人がエーゲ海の東を「アス」 asu (「東」「日の出」の意)、西を「エレブ」 ereb (「西」「日没」の意)と呼称したことにはじまるといわれ、のちに「アス」にラテン語の接尾辞「イア」 ia がついて Asia の語が生まれたといわれる。(Wiki

(補記「ヨーロッパ」はギリシャ神話のフェニキアの王女エウロペに由来する説など定黙っていない。)

アジアという地域

著者はヨーロッパはアジアという地域概念に時代と共に憧憬から軽蔑に転換してきたという。1800年前後の産業革命フランス革命がその分岐点であった。

現在の日本の社会制度、学問体系などは基本的にヨーロッパ圏に属すると言えるであろう。明治維新以降は脱亜欧入ではあったという既成概念は社会制度、学問体系が中心であり、経済的には欧米への輸出を如何に優位に進めるか、というアジア間競争が本質であった。

今もアジア間競争という枠組みは代わっていない。明治時代の蚕糸・絹業、茶などの輸出産業、一方で現在のエレクトロニクス製品のコモディティ化、双方とも仕組みは変化していないと思う。一方でヨーロッパとアジアとの関係は確実に変化している。それを象徴するのが(ヨーロッパから見た)「アジアの時代」という言葉であろう。

蛇足

ヨーロッパという地域概念は「アジア以外」からスタートしていた。

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